村上春樹と真実の世界 Where Murakami’s World Leads To


村上春樹の長編小説の新刊がでた。
もしあなたが村上春樹ファンならわかると思う、
これがどれほど待ち望まれていたことなのか。
そんなこんなで早る気持ちを抑えながらも第一部・第二部、と読破した。
主人公が画家だったのに軽く衝撃を覚えながら。
そう、主人公は、画家。正確に言うと、肖像画を専門とする画家。
絵を描くことについての話が、当然ながら作品の至るところに散りばめられている。
だからか、私にとって「騎士団長殺し」は、小説を超えたリアルな読み物として位置づけられた。

●こちら側とあちら側の世界
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村上春樹の小説には、井戸が出てきたり、壁抜けをしたり、地下に潜ったり、と、
こちら側(現実)とあちら側(現実世界を形作ってる世界のようなもの)を行き来しながら
主人公が何かしら、損なわれていたものを手に入れたり、余分なものを手放したりしながら、
物語が進んでいく。
そして、「騎士団長殺し」も、現実世界に即した物語としてスタートさせながら、
当然のように、あちら側の世界に行く。
また、これまでのいくつかの小説にあったように、
夜見た夢が現実世界に作用を及ぼすという現象も現れる。
●真実はどこにある?
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彼の小説の多くはこのようにして、
時として不可解な世界を跨ぐことによる得体の知れない感覚に陥る。
だからこそ好き嫌いが顕著に現れるのかもしれない。
私にとって彼の小説は、あちら側とこちら側を行き来することこそ
素晴らしいと思っている。そこにこそ、真実が含まれているからだ。
それは、何年か前のインタビュー記事に掲載されていた一言
“物語とは人の魂の奥底にあるもので、小説を書くときは深いところまで降りていく。”
とリンクする。
私たち一人ひとりが無意識のうちに抱えている闇を
物語の形式として照らし出すのが彼の小説の果たす役割の1つなのだ。
考えてみれば、現実世界を目をこらして良く見てみると、
それこそ小説のように、通常では考えられないようなことが起きている。
それは偶然同じ人に何度も会ったり
(それも住まいが全然違って普通は会わないだろうよ、という状況の中で)、
久しぶりに話をしたいと思っていた人から電話が来たり、
ここでは書くことが憚れるような不可解な出来事も含めて、だ。
そう考えると、本当の真実とは一体何なのだろう?
村上春樹の小説を読むと、その問いは、内なる声としてより大きさを増していく。
謎かけの根底にある真実を発見するために、
また、自分の内側にある無意識を醸し出す光として
彼の小説は機能している。
その言語的な役割を、非言語作業(=絵)に置き換えるのが
私にとっての絵を描く行為そのものです。
***
余談だが、余りにも村上春樹好きが興じて、
「私の中の村上春樹」という企画展にこの夏出展します。
詳細はまた近づいたらお伝えします。
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2017.3.7 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日にブログを更新しています。

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