対話とは何か? What Exactly is ”Dialogue”?
私が絵を描くことや画材研究などと同じくらいに大事にしているのが「対話」です。
でも。そもそも対話って一体何?って思ったりもしません?
例えば会話とはどう違うの?とか、対話の定義って何?とか。
そんなわけで、実はこの夏から対話の研究者(そうなんです、そういう人がこの世にいるんです笑)カズさんのもとで「対話」について学んでいる。学ぶというか、体得していくというか、そこで繰り広げられる内容はとても数行では語り尽くせないので、それはまたの機会に譲るとするが(カズさんについてもまた別の機会に語りたい)、4ヶ月に及ぶ「対話」の学びは今夜、いったん終了する。
大人になって、何かを学ぶことって、義務教育期間中のものと全く質が違って、主体的に前のめりになっていくわけだから、密度が違う。そして、何かを学ぶということは、机上の空論ではなく、実践を伴っていくものだと、とても強く思う。自分の体験と理論が混ざり合って、自分にとっての対話って何か、というのがソリッドに出来上がっていく。
そして、講座で学ぶからと言って明確な何かを得ると言うよりも、今までの様々な経験や考えをもとに答え合わせをしていくような感覚に近い。例えば、私は心理学を10年以上学び続けているのだけども、そこで学んだことと、対話で学ぶことがリンクしていることが多々ある。
その上で、私にとって、対話とは、今ここに集中すること。
もっと言うと、まず「今ここ」で起こっている全てのことを信頼することが土台にある。その上で、肉体と感情がセンサーとなり、思考がそれを言語化するツールとして機能する。で、最終的な目的は自分と相手を含む場全体と分かち合うためにある。違いを違いのまま受け入れたり、対極にあるものの根っこが一緒だということを感じるためにある。
一見対話について学ぶだなんて、絵と全く関係ないじゃん、って思うかもしれないけども、こうやって言語化してみると、やっぱり私の軸は「対話と絵」なんだな、ってしっくりくる。変な言い方だけども、絵は私にとってツールに過ぎないんだとも感じる。そして、絵を通して実現したい世界を目指すために描いているのだとも。
そして「対話」で実現できる可能性を、より多くの人と分かち合いたいという思いもだんだん強くなってきている。絵の活動とともに、対話そのものについて、分かち合っていくような場を。適切なタイミングが来た時に、お知らせできたらと思っている。
繰り返しになるが、学ぶことは理論と実践がセットになっていて、一旦わかった!と思ってもそれは表層だと気付かされる。その繰り返しをしながら、深めていっている。学びというのは道みたいだ。だからこれからも探求は続いていく。
2020.10.27
Kayo Nomura
追伸:一年以上前にもカズさんと「対話って何?」について話した夜のことをこちらに掲載している。|CLICK!|