小説から読み解く妄想 Stories and Delusions


絵が非言語のメッセージだとしたら
小説は思いっきり言語的な内容だ。
だから、絵を描く息抜きに小説を読むのが好きだ。
最近読んだ2冊は書店の店頭で話題になっていたものたち。
●「 豆の上に寝る」と「マチネの終わりに」
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タイトルからしてそそられる「豆の上に寝る」は
湊かなえさんが書いたもの。
あらすじはこちら
一方の「マチネの終わりに」は平野啓一郎さんの作品。
詳細はこちら
「真実というのは、巧妙に隠される。
事実は、捻じ曲げさせられる。
でも、ありのままに、注意深く辿っていけば
見つけられるものなのかもしれない。」
二つの作品を読み終わって感じた
感想は、意外にも一緒だった。
内容は全く違うものなのに。
● 現実は小説よりも奇なり。
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小説の内容も、
私たちが今生きている現実も、
実はそうそう変わるものではないのかもしれない。
ひとつの事実に対して
私たちは都合の良い解釈を与えていることが多い。
それも半ば無意識的に。
フィルター越しに見た世界は
歪んだ世界。
でも、その歪んだ世界を真実だと
思い込んで生きているのが私たち人間なのではないか?
小説の場合、「自分がフィクションを読んでいる」
と思いながら読んでいるから、客観的になりやすい。
だが、いざ、自分が今生きているリアリティの中に戻ると
その世界にどっぷり入り込んでしまって、
なにが真実で、なにが妄想なのか
その境目が見えなくなってしまいがちだと感じる。
●妄想スイッチ
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事実を見ると、どうってことないものが、
歪んだフィルター越しで見ると、
大きな出来事のように感じてしまう。
例えば
「あの同僚は、私のことが嫌いに違いない。
ランチに誘ったのに、断ってきたから。」
と思ったとしたら
そこには妄想が入り込んでいる。
たまたまその同僚は体調が悪かっただけなのかもしれない。
先約があったのかもしれない。
ダイエットのため昼食を抜いているのかもしれない。
仕事で追われていて、ランチどころではないのかもしれない。
事実はシンプルに
「同僚にランチに誘った。断られた。」
となるのに
そこから妄想スイッチが入ると
人間関係のいざこざへと発展しかねない。
何かに囚われている自分を発見したら
「なにが事実?なにが妄想?」
と自分に投げかけてみると冷静になれるのではないか。
●一言編集後記
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小説と絵の関連性について書こうと思っていたら
全く違うことを書いていた笑。
でも、最近の私の関心事項です。
事実と妄想。
あなたはどんな妄想にとりつかれがちですか?
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2017.9.5 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。

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