沖縄での自給自足生活から思い出した「人生万事塞翁が馬」話 No use Crying over Spilt Milk.


大学四年生だった頃、沖縄で一ヶ月暮らしてみた。
その当時、「自由」にとてつもなく憧れを持っていた私は、高橋歩の本を読みあさり、彼が沖縄で始めたというBEACH ROCK VILLAGEの立ち上げのボランティアをしに出向いたのだ。
宿泊費無料、三食付き、ということで安心しきっていたのだが、着いてびっくり。
これは何時代?というような壮絶な環境だった。
ぼっとん便所(という言い方は合っているのだろうか)に、雨が降れば床が水浸しになるというテントでの就寝、お風呂も焚き火で沸かし、数名で一緒に入ると決まっており、それはそれは私の価値観をぶっ飛ばすような住まいだった。
同じように集まったボランティアスタッフの方もとても個性的で。
コーヒーメーカーを辞めてきたOL、親と喧嘩をして家出半分に飛び出してきた大学生、元ヤンにしか見えないフリーター、世界一周をして帰ってきて青年、狭いところの方が落ち着く、と犬小屋で犬と一緒に寝ていた同い年の子等々。
そんなユニークとしか言いようのない彼ら彼女らとともに日中の重労働(ティピィーというテントを作ったり、地面を整備したり、ヤギの世話をしたり)をした後も、ご飯は勿論皆で一斉で「いただきます」をし、お風呂の時間さえ一人になれない状況に疲弊し、こっそり外に抜け出し夜空を眺めながら、「私は一体ここで何をしているのだろう」と嘆いていたものです。
と、前置きが長くなったが、それから11年の月日が流れ、
先月の個展にそこで出会った仲間達が来てくれた。
その時に言われたのが「カヨって昔からよくノートに絵を描いていたよね」と言う一言。
「え?絵なんて描いてたっけ?」と思ったが、日記代わりにしていたノートにスケッチらしきものも描いていたみたい。
そして、思い返せば、絵を描き出してからというもの、色々な友人に「昔から絵を描くのが好きだったよね」と言われる。
確かに、幼稚園の頃は絵を描くのが好きだったのははっきり覚えている。
でも、中学校に上がると、美術の成績で5を取れたことも、授業の一環としての動物園での写生大会でも入賞することができなかった私は、「私には絵の才能がない」と勝手に自分で自分の好きなことに蓋をしてしまったのだった。
その結果、高校では美術・書道・音楽の中から選択できたのだが、美術は選択しなかった。要は、中学の美術の先生に絵を評価されなかったために、自分には才能がないと決断してしまったのだった。
それでも、人に評価されようがされまいが、絵を描くことが元々好きなことに変わりはなく、学生時代は授業中のノートの端っこに、友達と話しながら、電話をしながらメモみたいなスケッチを、気が付いたらしていたのだった。(勿論上手か下手かは別として。)
●他人の評価を生きる私たち
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私に限らず、自分の好きなことを他人の評価がきっかけでダメにしちゃった人って多かれ少なかれいると思うんです。
それはピンク色を着るのが好きな女の子が親から「あなたにはその色は似合わない」と言われて、ピンク色を避けるようになったり、本当はパン職人になりたかったのに「パン屋なんて星の数ほどあるんだからやめなさい」と周りに言われたことにより一般企業に入り夢をあきらめたり等、
紐解いていくと大小様々な形で私たちは他人の評価で自分の人生を決めてしまっている場合が少なからずあるということ。
●人生万事塞翁が馬
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こういう風に言うと、他人の評価にのっとって人生の決断をしてしまったことに対して、「あの人の一言がなければ、私はもっと自分らしく生きることができたのに」と捉えてしまうかもしれない。もちろんそれも一つの捉え方だけども、裏を返せば、その人の言葉のおかげで自分が本当に生きたい道を生きることができた、とも言える。
例えば私の場合、中学校の先生の評価で私は絵の才能がない、と思い込み、絵を描く道を人生の選択肢から消去した。でも、それでも無意識のうちに絵を描いていたり、美術館に足を運んだり、なぜかわからないけども色鉛筆を見たら買わずにはいられない、という状況だった。そして、随分遠回りをした後、絵を描き出すことを再び始め、今は描くことを生業としている。
仮に中学の美術の先生が私の絵を評価し、写生会でも入賞していたら、そのことで気をよくして、美術の道にすんなりと進んで行っていたかもしれない。もしそうであったらとしたら、今のような絵を描くことはできなかったというのは確信している。技術に頼った作品を量産していたと思う。だから、変な話に聞こえるかもしれないけども、今は美術の先生に感謝している、「私に絵の才能がないと思い込ませてくれてありがとう」って。
こう考えると、すべてのプロセスが必然しかない、としか思えない。美大に行かなかったおかげで技術に惑わされずに絵を描くことができる。自由に自分の絵を壊せることができる。頭でっかちにならずに済む。これまでの生き方を絵に思う存分反映させることができるetc…挙げたらキリがないほど、メリットに光が当たる。
もし仮に、これを読んでいる方の中で、「あの人があの一言を言ったから、私は本来進む道から逸らされた」と思い込んでいる人がいたとしたら、それは本当にそうなのか?と自問自答してみることで、少し違った角度で事実を客観的に見えるかもしれません。
追伸1:
冒頭で話した沖縄で出会った仲間の人一人、コーヒーメーカーのOLだった宮前奈々子が書いてくれたブログ。ご興味ある方は、こちらです。
追伸2:
沖縄のビーチロックの社長が立ち上げた劇団が3月26日に公演を行うそう。ご興味のある方、ぜひ「あしながプロジェクト」へのご参加をお願いします。詳細はこちらです。
追伸3:
今回の記事はとても長くて読みづらくなってしまいました。汗…追伸も長いやーん!
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2017.3.14 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日にブログを更新しています。

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