絵を制作する過程について On Thoughts About Creative Process

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絵を描いていると、どこからともなく
「こういう絵にしよう」という閃きがやってきて
あっという間に一枚の絵が描けてしまう
ということが、稀にある。
そうかと思うと、どれだけ長時間 白い紙の前に座って
手を動かそうと思っても、文字通り何も出てこない時もある。
そして、そういう時に無理矢理何か描こうものなら
見るに堪えない作品が仕上がっていく。
ある時は、瞬時に自分でも「いいな」と心から思えるものができ、
またある時は、目を覆いたくなるような代物しかできない…
この差は一体何なんだろう?と疑問に駆られることがしばしばある。
そこで、客観的に分析してみた。
良いアイディアが閃いて描けている時は
何も気負わず、頭をからっぽな状態にして描いている時。
逆にへんてこな作品しか仕上がらない時は
エゴまみれになっている時。
「今日までにこれを仕上げないとマズイ」
という焦りであったり
「こういう手法を使えばカッコよく見えるはず」
という見栄であったり
要は、純粋な気持ちを脱して描いている時。
そういう時の絵は、後から自分でみても
「あかんわ、全くあかん。」と首を横に振る結果になる。
かといって、いつもピュアで真っ新な気持ちで
描くことができるわけでもない。
そんな時はどうするか?


そんな時は、おとなしく諦めるに限る。
なんていうと投げやりに聞こえるかもしれないけど、
事実、そう。
頭の中に不純物がいっぱいある時に
制作しても、ろくなことにならない。
悪循環に陥っていくだけ。
だからそういう時は、すっぱりと諦めて
違うことをするようにしている。
読書をしたり、掃除をしたり、体を動かしたり、
人と話をしたり、手紙を書いたり、etc…
そのようにしてしばらく制作と距離を置いていると
自然とまた「描きたい」という気持ちが舞い降りてくる。
その状態で描いた時、
自ずと手が色を選び、
勝手に紙面が仕上がっていくような
感覚になることが多い。
(勿論、必ずそうなるとは限らないし
逆にそれを狙って諦めている時は全く諦めておらず、
むしろ不純な気持ちでいっぱいな場合が多い。)
だから、結論としては、
不純な気持ちが渦巻いている時は
制作をしない、という単純明快なこと。
それが創造性につながっていくことにもなる。
この「創造性」というキーワードに関しては
ここ数年の私の研究テーマでもあり、
また別途書いていきたいと思う。
2016.3.8 Tuesday (KAYO-BI)
Kayo Nomura

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