メダルの意味 How People Sees You

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早くも、4年の一度のオリンピックが終了した。
終わってしまえば不思議と瞬く間に
過ぎ去った出来事のように感じる。
実力通りのプレイをできた選手も
思うように結果がでなかった選手も
オリンピックに臨むまでのエネルギーと時間を
考えると、それはもう、敬意を表す以外の方法はない。
そして、それぞれの選手のプレーやインタビューから
自身の満足度と他者からの評価について考えさせられる。

 
●メダルの意味
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仮に自分の最高の出来を出し切ることができなかったとしても
結果的にメダルをもらうこともあれば、
逆に、自分の最大限持てる力を出して切っても
メダルに遠く及ばず、という選手もいたようだ。
例えば、水泳の萩野公介選手。
彼は個人種目て金と銀、800メートルリレーで銅、と
3つのメダルを獲得した。
にもかかわらず、
「メダルは付加価値。もっと出来たんじゃないかと思える五輪だった。
精神的にも、肉体的にも本当の強さが欲しい。」
とインタビューで答えたそう。
 
●評価って何だろう?
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仮に金メダルを総なめにしたとしても
自分の中に悔いが残るとしたら、
メダルは何の意味があるのだろうか。
メダル、つまりは、他人に比べて圧倒的に良くできたという評価の対象は
結局のところ萩野選手のいうように”付加価値”にすぎないのではないか、と。
最終的には、
自分が心から出し切った、やり切った!
と思えることがすべてを物語るのかもしれない。
女子個人体操の寺本明日香選手は8位という結果だったが、
最後まで気を抜かずに演技をやりきり、満面の笑みで終われた。
(もちろん客観的に見ると入賞だけでもすごいことだが)
 
●他者の評価に頼る恐ろしさ
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ここで、自分が絵を描いている際に受ける
評価について考えてみた。
どれだけ時間とエネルギーをかけて
自分のベストを尽くして描いたとしても
出来上がった作品を見ると
「ここの線をもっとシュッと出したかった」とか
「この色はもっと鮮やかにすればよかった」と
改善点がでてくる。
かたや、自分が100点をつけれない作品について
人によっては「この作品のすべてが好き」と言ってくれる人もいる。
そして、その同じ作品を、他の人は見向きもしないことも。
だからやっぱり自分がどう思うか、とは他のところで
評価というものは一人歩きしていくもの。
そう考えると、他者の評価に主軸を持っていくのは
危険とも言える。評価に依存するようになってしまうからだ。
 
●行為そのものに集中するという事
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私だったら、本来の、純粋な絵を描く行為そのものに価値があるわけで
他人がそれを気に入るかどうかは、二の次であり、結果論である。
(これがイラストレーターだったらまた別の話になるが。)
だから、どれだけ評価されてもされなくても、
自分の芯を、頼りにして、制作を続けていこうと思う。
それが金メダル級の評価に届こうが、届かまいが。
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2016.9.6 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日にブログを更新しています。

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