村上春樹展と土着の力と自我について Haruki Murakami Exhibition


今月21日から28日まで、とある企画展に参加する。
その名も「わたしの中の村上春樹」展だ。
会場は、銀座にあるギャラリー枝香庵。
私を含めて30名の作家が村上春樹の小説にちなんだ作品を展示する予定。
なんて村上春樹ファンにとってはなんとも心踊る企画なんでしょう!
●土着の力をひしひしと感じさせる
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私は散々悩んだ挙句セレクトした小説は
『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』(以下『多崎つくる』)。
この作品を選んだ理由は主に2つある。
1つ目が、舞台が名古屋だということ。
名古屋出身の私としては、名古屋という土地の描写がこれほどまで
的確に書かれている小説は読んだことがない。(少なくとも、私にとっては、という意味だが。)
名古屋で生まれ育った人の多くは、地元の短大や大学に行き、
そのまま地元の会社に就職し、名古屋の人と結婚し、子供ができたらそのまま、
自分が親にしてもらってきた環境を整えて名古屋人生を謳歌する、というパターンが多い。
(もちろん全ての名古屋の人がそう、とはいうつもりは全くない。
 小説の中のつくるが東京に進学し、クロがフィンランドに飛び立ったように。)
何が言いたいかというと、その土地独自の雰囲気というか、土着の力みたいなものが、
各地域に渦巻いていて、それが住人に乗り移っているような気がすることがある、ということ。
無論名古屋だけでなく、その土地その土地ごとのカラーがあり、
一旦そこにどっぷり入ってしまうと、そのカラーは自分と同化してしまい、
無色化してしまうということだ。
余談続きになるが、人が旅行に行きたくなるのは、
何も平凡な日常(失礼)から抜け出したいからという理由だけではなく、
無意識のうちにしがみついてしまっている住んでいる地域のエネルギーから抜け出したいから、
なのではないか、と密かに思っている。
(そして、私も、だからか、旅が好きな理由のひとつは、と思うわけである。)
● 切実に自分のこととして。
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本題からずれてしまったが、話を元に戻すと、
『多崎つくる』を作品として選んだ2つ目の理由は、
主人公の多崎つくるの成長の物語が、紐解いていくと
私たち全てに当てはまるような気がしてならないと思ったからだ。
勿論他の作品の主人公や登場人物もそうなのだが、
今の私にとって彼の置かれた状況とくぐり抜けてきた過去、
そして立ち向かう未来は、ヒーローズジャーニーのように感じたし、
自分自身の経験とリンクする部分がかなり多くあったのだ。
要は自分ごととして切実に読んた、ということだ。
例えば、多崎つくるは自身のことを「いつも空っぽな容器みたいに感じて」おり、
「自分というものが」なく、「これという個性もなければ、鮮やかな色彩も」なく、
「こちらから差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない」と思い込んでおり、
それが「昔から抱えていた問題」だったと認識している。
これを読んで、大なり小なり、自分のことをそう思うことが当てはまるのではないかと思う。
(よほど自分のことが大好き人間すぎたり麻痺しすぎていてわからなくなければ、の話だが笑。)
そして、私も例に漏れず、多崎つくるにシンパシーを抱いた者の一人であった。
特に「自分というものがない」という箇所だ。
だから、私としては、そこのくだりを絵に描きたいと思い、それを実行に移した。
構想を練り、描きあげたのは今年のゴールデンウイークのこと。
今見ると、その時思い、描いたものと多少違った様相に見えなくもないが、
銀座に立ち寄られることがありましたら、お気軽に足を運んでみてください。
詳細はNEWSをご覧ください。
●一言編集後記
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村上春樹の小説は何度も読み返している。
なんで折に触れて読み返したくなるのだろうか。
いつまで眺めていても見飽きることなく、新しい発見があるような、
そんな作品を作っていきたい、と彼の本を読むたびに思うのである。
そのためにできることと言ったら、毎日描くこと、しかないよね。
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2017.7.18 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。

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