芸術の役割 Why Do We Rely on Art?
芸術の役割ってなんだろう?
と聞かれたら、あなたは何と答えますか?
先月末に、約三週間に渡って開催してきた個展「晴れやかな雨」が終了しました。
それに伴い、改めて「絵画のもつパワーってなんだろう?」という疑問が湧いてきたのです。
人はなぜ、絵を見るのだろう?
絵に限らず、芸術と言われているもの、
映画やダンス、ミュージカル、音楽等々、を
私たちは当たり前のように享受する。
それは一体なぜだろう?
● 20歳と27歳の時の違い
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ここで、ひとつ思い出すエピソードがある。
私は村上春樹の小説が大好きなのだが、
以前は大嫌いだった(正確に言うと、読んでも意味が全然わからなかった)。
初めて彼の小説を読んだのが20歳の頃。
本を読むのはもともと好きではあったが、
彼の小説だけは、「よいしょ!」と重い腰をあげるような気持ちにならないと、
読むことができなかった。そして一通り読んでも、意味がイマイチわからなかった。
「彼の小説を今後の人生の中で読むことはないであろう」
と思いながら本を閉じたのを覚えている。
だが、時は流れ、就職して社会人となり、
仕事もプライベートもにっちもさっちもいかないような
閉塞感を抱いていた27歳の頃、あるきっかけがあって、
村上春樹の小説を再び読むことになった。
先述の通り、20歳の頃の経験があったので、
「どうせ読んでも意味がわからないかもしれない」と
半信半疑になりながら本に手を取ったのだが、
一度手にした本は、読み終えるまで置くことはなかった。
要は、彼の物語にのめり込んだのだ。
次の日、彼の小説を全て大人買いして、
文字通り、貪り読んだ。
しかも、一度読むだけでは飽き足らず、
何度も繰り返し読んだのだった。(そして、それは今も続いている。)
なにが私をそうさせたのだろう?
なんで20歳の頃にわからなかった彼の小説を、
27歳の頃の私はよく理解できるようになっていたのだろう?
ひとつには色々な経験を踏んできたという事実がある。
でも、それに勝る理由は、
27歳当時の私はどうしようもなく傷ついており、
どうしようもなく救いを求めていた、ということ。
そして、人生で負った傷を、彼の小説を読むことを通して癒したのだ。
人生において、時として、どうしようもない場面に遭遇することがある。
文字通り八方ふさがりな状況になることが。
この時にこそ、芸術は、
私たちに手を差し伸べてくれるのではなかろうか。
● 私自身であるために
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もう一つの例を挙げる。
それは直近の個展について、のエピソードだ。
個展会期中は、
ありがたいことに多くの方にお会いする。
とてもうれしいことではあるのだが、その一方で、
誤解を恐れずに言うならば、
自分の内側がすかすかになってしまう感覚も、ある。
普段一度に多くの人と会うことは、ない。
主に制作をしており、当たり前だが、
一人孤独に作業をしているからだ。
それが、突然何週間にもわたり、
毎日多くの方に会うことになる。
そのギャップに心がついていけなくなるのが
スカスカになる理由のひとつだろう。
それを予期してか、今回の個展期間中、
私は村上春樹の小説を鞄の中に忍ばせておいた。
会場に通う時間や寝る前などに少しずつ村上ワールドの中に入り込んだ。
そうすることで、痛みにも見た胸の疼きが解放される感覚があった。
同時に、個展期間中、意識的に、芸術に触れるように心がけた。
・DIC川村記念美術館で「ヴォルス」展(絵画)
・bunkamuraで「ソール・ライター」展(写真)
・シネマ京都で「メットガラ ドレスをまとった美術館」(ドキュメンタリー映画)
そうすることで、私は、「私自身」であり続けることができたのだ。
● エネルギーの循環
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芸術とは、私たちにエネルギー源を提供してくれる。
このエネルギー源は、人によって作用したりしなかったりする。
自分に合うもの、合わないものがある。
また、その時の自分に合わないものが
何年か経った後合うようになるものも、ある。
だからこそ、
あらゆる形態の絵画があり、
あらゆるジャンルの音楽があり、
あらゆる時代の小説が今もなお読み続けられているのであろう。
● 一言 編集後記
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最後にもう一つエピソードを綴ることで、
今日のKayo-bi Journalを終えたい。
先日の個展で、ノルウェー人の旅行者がふらりと来てくれた。
「晴れやかな雨」展は、雨をテーマにしていたため、
緑や青など寒色系の色合いの作品が多かったのだが、
数点のみ暖色系の作品も展示していた。
それを見た彼は「自分の心の中に火が灯された感覚がする」と言って、
その作品を長らく眺めていた。そして、その旅行者は、その作品を買っていった。
改めて思う、芸術って何だろう?
そして、
私は絵という表現媒体を通して、
何を世界に伝えていきたいのだろうか?と。
きっと、答えはひとつではなく、
また、その時その時で、気づき続けるものであろう。
だからこそ、昨日も今日も、そしてきっと明日も
描き続けるのかもしれない。
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2017.7.4 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。
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