発見の旅 Journey of Discovery
昨年10月に村上春樹が
デンマークの童話作家のアンデルセンの「ハンス・クリスチャン・アンデルセン賞」を受賞し、
その授賞式でスピーチを行ったことについて、
以前村上春樹の「影」Dark Tunnel of Narrativeで書いた。
今回は、そのスピーチの中で言及していた
アンデルセンの「影」について触れたい。
それは、背筋が凍りつくようなゾッとする物語だった。
童話という括りには全く相応しくない内容。
●影が主人を凌駕する時
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以下、村上春樹のスピーチから、童話の内容を引用する。
「小説の主人公は、北国の故国を離れて、南国の外国を旅する若い学者です。思ってもみないあることが起きて、彼は影をなくします。もちろん、どうしたらいいのかと困惑しましたが、なんとか新しい影を育て、故国に無事帰りました。
ところが、その後、彼が失った影が彼の元に帰ってきます。その間、彼の古い影は、知恵と力を得て、独立し、いまや経済的にも社会的にも元の主人よりもはるかに卓越した存在になっていました。
言い換えれば、影とその元の主人は立場を交換したのです。影はいまや主人となり、主人は影になりました。
影は別の国の美しい王女を愛し、その国の王となります。そして、彼が影だった過去を知る元の主人は殺されました。影は生き延びて、偉大な功績を残す一方で、人間であった彼の元の主人は悲しくも消されたのです。」
● ブーメランのように
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理想を追い続ける時、私たちは、自分の中にある影に蓋をしてしまう。
影を置き去りにして、光を執拗に追い求める。
その結果、影は闇の中に葬られ、その存在は忘れられる。
けれども、その影は、戻ってくるのだ。
ブーメランのように。
必ず。
しかし、このことを、教訓めいた口調で話しをしても誰も耳を貸さない。
だからこそ、物語が有効性を持つのだ。
● 発見の旅
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村上春樹は、物語を書く際に、あるシーンもしくはアイディアから始まるそうだ。
そして、どのように展開し、終わるのか、自身もわからないまま、
頭ではなく手を使って、書き進める。
つまり、小説を書くことが「発見の旅」となる、と。
そして、アンデルセンも「影」を書く際に、
”影が主人を離れてしまったらどうなるのだろうか”
という一つのアイディアから、物語を推し進めていったのではなかろうか、と
村上春樹は推測する。
その結果が、アンデルセンの物語の結末なのだ。
●幻影を生きないために
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何かを力づくで排除しようとする時、
必ず歪みが生じる。
それでも、無意識のうちに、知らず知らずのうちに
私たちは、見たくないもの・認めたくないもの、を
片隅に追いやってしまいがちだ。
影のない主人は、もはや、幻影にすぎない。
だからこそ、
影と共生していく強さを持って生きることが
何よりも大切なのだ。
アンデルセンの物語は、深く私の胸のなかに押し込まれた。
きっと、それが、真実を語っているからだろう。
● 一言 編集後記
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「光と影」Light the Dark
これは私の作品の奥底に流れている土台だ。
村上春樹の小説に流れている根底のテーマもそれであるように感じている。
だから、彼の小説を際限なく再読し続けているのかもしれない。
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2017.5.9 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。
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