絵の活動の奥の想い What Lays Underneath

 

1月15日からスタートした作品集「DIALOGUE」の原画展。

出版記念トークイベントとして、対話の研究者 中村一浩さんをお招きし、
インスタグラムで無観客ライブ配信をしました。

テーマは「絵と対話とわたし」

絵を描くことと、対話をすること、絵と対話の関係性、などについてお話ししました。
(アーカイブを残しました▶︎クリック)

この対談をきっかけに、私はどういう想いで絵を描いているのか
なぜ絵を描いているのか、ということを改めて感じたことがあり、
それを今日、書いていきたいと思います。

友達と話をしていても思うことがあります。
それは、「絵は敷居が高い」と思われているということ。

絵を家に飾ることなどしたことないし
ましてや絵を購入しようなんて思いにもよらない

そう感じられている方がたくさんいるんだなぁって。

とはいえ、私自身も、絵を描き始めるまで、絵を家に飾っていたか?
といえば答えはノー。せいぜいポストカードやポスターでした。

誤解を恐れずに言えば、絵なんてなくても生きてはいける。

それでも、絵のある生活は、心がより豊かになる。

以前絵のない生活を送っていた私だからこそ
それを心から実感しています。

お気に入りのアーティストの作品を飾り
それを見る度に、気持ちが上向きになったり。
心が穏やかになったり、背筋がしゃんとしたり。

また、朝起きた時に眺める絵と、夕暮れ時に見るそれと、全く異なる印象を持つ。

それは、自分の心がその時々で変化しているから。
時間の経過とともに、移り変わっていくものだから。

その時々の「自分」を振り返るために、
絵は存在してくれる。

つまり、自分との対話を促すために。

絵を描き、絵を家に飾るようになり
そう思うようになりました。

 

散々いろいろなところで書き散らしていますが、
そして先のトークイベントでもお伝えしましたが、
そもそも私は絵を描く以前に、人間に興味があります。

人間とは、外部の世界にいる他者、
そして、自分自身への興味です。

自分のことってわかっているようで、わかっていない。
それなのに、自分自身とは一生付き合っていくもの。

そのツールの一つとして絵があるのだと私は思っています。
だから、本当は絵でなくてもいい。なんでもいい。

人によっては、小説が自己対話を促すツールなのかもしれないし
特定の音楽を聴くことがそれにつながるのかもしれない。

私にとって、対話のツールが絵であるだけです。
その必要性も必然性も、心から実感しているからこそ
私は「対話と絵」をツールに、これからも
自分を含めた他者の理解をするために活動をし続けていきます。

そして、これを読まれているあなたと共に
その楽しさと奥深さを一緒に探求していけたら嬉しいです。

 

2021.1.19
Kayo Nomura