自分という存在を知る手立て Ways for Knowing Yourself
世の中には本当に色々なアーティストがいる。
暇があれば色々な展示を見に行く人もいれば
「他の人が描いた作品を絶対みない」
というアーティストもいる。
同世代の人のものに限らず、故人となった名を馳せたアーティストのも一切。
理由は「他の人の作品を見ると、自分の作品もそれに影響されてしまうから」だと。
私は前者のタイプで、ジャンルに捉われず美術館に行くのが好きだ。
それは単純に、より良い作品を描くためにはどうしたらいいか?
という問いが常に自分の頭の中にあるから、で、
そのためには、どんなものでも吸収したいと思っているから。
勿論、良いと思ったものを真似ようとするためにいくわけではない。
だけど、日常生活を過ごす中でも、意識的にも無意識的にも、私たちはたくさんの情報から影響を受けているわけで(例えばテレビとかネットとか駅に貼ってあるポスターとか…要は五感情報全て)、
何からも影響を受けずに純粋なカタチだけでの制作活動なんて不可能だ。きっぱり断言!
むしろ、芸術に触れることによって、
自身の中に眠っている感性がより研ぎ澄まされると信じている。
そんなわけで先日 兵庫県立美術館に足を運んだ。
企画展「ジョルジョ・もランディ 終わりなき変奏」を観に。
イタリアで生まれ育った彼は一環して静物のみを描くことに焦点を当てている。
ただの壺。
それど壺。
そう思わせる何かが彼の作品からは醸し出ている。
どっぷりと浸かっていくうちに、彼が描いているものが
静物画なのか、抽象画なのか、わからなくなってくる。
そして、心の奥底に静寂が広がる。
絵の見方は人それぞれであって
一つの正解なんてない。
たとえ、作家が明確に意図していたモノがあったとしても
それと違う感想を抱いても全く良いわけで。
結局のところ、「どう思うか」という感覚こそが
「自分とは何か」を紐解くヒントになっていくから。
で、何が言いたいかというと
何をどう感じるか、というのは全て自分次第を反映している、
という凡庸性の高い話。笑。
そして、絵を通して、自分自身と会話をするチャンスが生まれるとしたら
それはとても幸運なことなんじゃないか、ということ。
だから絵描きにせよ、そうでないにせよ、
美術館に行くという行為って素敵なもんですよ。
2016.2.15 (火曜日/KAYO-BI)
Kayo Nomura
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