なぜ作品が変化していくのか? There is no Moment like NOW

限られた画材の中での表現を突き詰めていく過程の中で
再び作品が変化する時期が来てることを予感している。

ことの発端は、
今年に入って、白と黒だけを使って実験的作品を
毎日描いていこう、と決めたこと。

その結果、色を使用する作品に対しても、
よりシンプルな表現をするようになってきた。

偶発的な形や、規則的な線の連なり、絵の具を垂らしたり
水を上からぶっかけたり、と、誤解を恐れずに言えば
よりルーズな描き方を積極的にしだした。

● 描く対象の変化
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これまではどちらかというと、
「しっかりと描かないと」
という意識が強かった。

それは、「描く」という行為に
いわばしがみつくような姿勢だった。

たとえば、
絵を描き出した当初の頃
動物をメインに描いていた。

ゾウなら、「ゾウ」だということが
きちんと認識できるような動物を。

そこから少しずつカタチに囚われなく
なっていった。

その後も、動物から植物へと
インスピレーションの対象が変化し、

現在は、たとえば、雨の様子をもとに
作品を描くこともある。

(これは雨上がりの水たまりと、その上を吹く風をイメージ)


(雨のリズムを聴きながらイメージ)

カタチのあるものよりも
カタチのないもの、

目に見えるものから
目に見えないもの、

と興味関心のテーマが
変化してきているともいう。

● 今、この場で紡ぎ出されるもの
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とはいえ、これまでのスタイルを壊していくことは
勇気がいるし、混沌とした気持ちにもなる。

動物の作品を好きだと言ってくれていた人から
すれば、一体何を描き出しやがったんだ?
と思われる可能性もある。

それでも、過去のスタイルに固執することは
私にとっては、停滞を生み出す。

すでに違うエネルギーで描きたいものが
出てきているのに、昔のままの感覚で描くことは、
時代遅れの服を着るように、居心地が悪い。

結局、いつだって、今描けるものを
描いていくしかない。

それは、つまるところ、
「今」に焦点を当てること。

過去どんな作品を描いたか、とか
昔の記憶を辿ってなぞるような絵を描くこと、
ではなくて、今この場で紡ぎ出されるものを描く姿勢を保つこと。

これが私にとっての、最善のやり方なのだと思う。

● 一言編集後記
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絵を描く姿勢は、
人生を生きる姿勢と
なぞられるなぁ
と感じる今日この頃です。

よりもっと、「今」を信頼したい。

だからこそ、ライブペイントにも
挑戦したい。
いつ、どこで、どういうカタチで
できるかなぁ。

\Life is Art./

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2018.5.8 Tuesday(*KAYO-BI)
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。