「心の年輪」の作り方 Standing Still in Midst of Pain

最も小説家のひとりが村上春樹だ。
小説のみならず、翻訳やエッセー、インタビュー本等
様々なジャンルの著作を出しているが、
期間限定でホームヘージを立ち上げ、読者から質問を募り、
それに返答をする、という読者の皆さんとやりとりを、
不定期でしていることをご存知だろうか。

3年半前に開催された「期間限定 質問・相談サイト 村上さんのところ」
では17日間で3万7465通、日本はもとより14カ国からメールが届いたそう。

3ヶ月以上かかってすべての内容に村上さんが返答したのち、
473問を厳選し、書籍化されたのが『村上さんのところ』。

いくら村上春樹が好きでも、他人の相談に答えているだけの内容が
400通以上ある内容を読むのは気がひける、と思い、手付かずだったが、
ちらっと本屋さんで手にとってみたら、それはそれは、おもしろい内容だった。

何が興味深いって、「そんなこと村上さんに聞いてしまうの?!」という問いだったり、
「まだ中学生なのに、そんな広い視野で世界を捉えているの?」という驚きがあったり、
逆に「なんて答えずらい質問をするのだ!」と考えさせられるものがあったり、
とにもかくにも、一度読み進めたら、「もう一問..」と思っているうちに、
最後の質問までずっと読み進めてしまうような本だった。

その中で個人的に最も印象に残った内容について本日はお伝えしたい。

● 強い心を持つ方法
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質問者は45歳の女性。
少々長いけれども、以下抜粋します:

「(中略)河合隼雄さんの著書もたくさん読みましたが、『こころの処方箋』の「灯を消すほうがよく見えることがある」という章が特に好きです。
その中の「子どもがつらいときに、方法を探しまわるのではなく、子どもとただそこにいることが大切。そうすれば暗闇から光が見えてくることがある」という言葉が、子育てをする上において、私の指針となっています。
村上さんも「井戸の中に下りて行く」ということを言われていて、同じような意味なのかなと思っています。
私はお二人の言葉にすごく共感するのですが、実際はつらいときや苦しいとき、方法を探してそこから逃げたくなるし、何もせずにただそこにいるというのはとても難しいです。
具体的な状況の変化(例えば離別や転落とか)がすごくこわくなってしまうんです。(いつもそういうことがあるわけではないですが)。
でも、いろいろ年を重ね、逃げたり、探しまわることを繰り返すのは何かが違うんだなと自分でも気づいてきています。
河合さんの言葉でいえば、不安にかられたときにうろうろする人ではなくて、しばらくの間、闇に耐えられる人になりたいのです。
どうすればそんな強さを持てるようになるんでしょうか。村上さんのお考えを聞きたいです。」
(『村上さんのところ』p.469-470)

どうしても不快な出来事、つらい出来事に遭遇したとき、
即効的な解決策を求めたくなるのが人の性。

それは、その嫌な感覚から早く離れたいから。
別名、本能的な防御手段。

村上さんは回答の中で「心の年輪」みたいなものを作ることが大切で、
そのためには、あまりに早く解決策を見つけてしまうと(あるいや見つけたと思ってしまうと)、
それがうまくつくられないままに終わってしまう、と言います。

どうして、この問答が印象に残っているのかといえば、
私も最近、イタイ出来事に遭遇したからです。

悲しみや苦しみ、と同時にやってくる、
自分を正当化したい気持ち。

その狭間の中で、もがき苦しみました。
(そして、その痛みはまだありありと胸の中心にあります。)

痛みを痛みとして感じることができること。

それがいかに大切なことなのか、
その体験を通して実感しています。

● 嫌だけども。
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即効的な解決策を見つけようとすることは、
本来であれば見るべきはずの、人間の闇、
別名嫌な部分に目を向けることになる。

そして、何もなかったことにして、
ある意味、自分の感情に蓋をすることにもなる。

そっちのほうが短期的にみたら楽だけども、
果たして楽な方向に流されて生きるのが
本当の生き方なのか?

この自問を繰り返す中で、
出会った今回の『村上さんのところ』。

心の年輪はすぐにはできないかもしれないけども、
それこそが、人として、私は目指していきたいところです。

あなたにとっての心の年輪はどんなイメージですか?

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2018.8.20 Tuesday(*KAYO-BI)
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。