雑談の効能 Small Talk

今朝の朝日新聞に解剖学者の養老孟司さんによる新型コロナに関する寄稿が掲載されていた。
タイトルはずばり「人生は本来  不要不急」。

彼の仕事人生を振り返りながら、タイトルの通り、人生とはそもそも不要不急のものなのではないか?という問いかけを提示しているのだけども、その中で2点興味深い考察がなされていた。

そのうちのひとつが「自立の話 」なのだが、
先日友人とオンラインで雑談をしていて感じたこととリンクしていた。

養老孟司さん曰く、
夏目漱石がロンドン留学に行った際、文学論の勉強に身を投じたのだが、講義を聞いても参考にならず、お国からのお金を無駄にしているのではないか、と神経衰弱に陥ったという。だが、留学の終盤になって結局教えてもらうものではなく、自分でつくるものだということに気づき、その後創作活動を開始されたとのこと。

上記を例にとり、「不要不急」とは世間のものさしで図られており、
自分のことではない、つまり、世間という状況にある、と。

要は、自立していないと、世間に流されてしまう、というのだ。

ここで、オンラインでの雑談についての話になるが、
「オンライン飲み会」や「オンラインお茶会」なんて別にやらないでもいい。

それでも何故、敢えて雑談をするのかというと、

不要不急の代表格のような雑談は各々が「自立」した存在であればあるほど
長い目でみたらとても大切な時間だったということに気づくからである。

どういうことかというと
雑談というのは、自分が意識的に問いを立てていたり、関心を寄せているものを持ちながら過ごしている人にとっては、アイディアや知恵の宝庫ではないか、ということだ。

そもそも、文章を書くこともそうだが、
言葉を使うことは、自分が漠然と思っていたことを整理できるツールだ。

さらに内容を聞いていてくれる人がいることで
フィードバックをもらったり、感想や疑問を口に出してくれるので
より効果的に気づきを得たり、アイディアが浮かんだりする。

まとめると、
・大きな枠でいうと、何もかもが、人生さえも不要不急
・オンラインでとりとめもない雑談をすることも然り
・でも各自が自立した存在でいたら、実は雑談はアイディアの宝庫なのではないか
ということだ。

結局全ては自分次第である、というありきたりな結論になってしまうのだが
これまでの社会は効率を求めすぎていて、その反動が今きているようにも見える。

何を持って不要か、何を持って不急か、
それを煮詰めていくと、養老孟司さんのように、人生=不要不急
になるのだけども、そうであるとしたら、各個人の在り方/生き方
次第になるということだ。

つまり、
・何を大事にして生きているのか
・そのためにどんな「問い」を日々持っているのか
(何に焦点を当てて過ごしているのか)

によって、どのような不急不要な出来事も、
逆に不要不急ではなくなるのではないだろうか。

映画を見ていても、どのような些細な小道具や、
話の本筋と関係の良いように見えるストーリーも、
あとで全てがつながってくる。

だから究極、人生全てが不要不急とも言えるし、
人生全てが必要緊急とも言える。

世界の流れが一時停止している今こそ、
「何を大事にして生きていきたいのか」
を集中して考えていく時期なのかもしれない。

 

2020.05.12
Kayo Nomura