水の波紋、心の波紋。Ring of Water, Ripples of Emotion

昔、こんな遊びをしたことがないだろうか?

川に向かって小石を投げ、ぴょんぴょんと連続ジャンプをさせる遊び。
私は決して水きりは得意ではなかったけども、石を投げたことによって水面に波紋が広がり、どんどんその輪が広がっていく様子を見るのが好きだった。

石を水面に投げたその瞬間は、波紋が大きく、でもしばらくすると、静まり返り、もとの様に戻る。

水面を眺めていると、それはまるで自分の内面のようだと思うことがある。

例えば、悲しい出来事に遭遇し、その感情に浸っていると、悲しみの波紋がどんどん拡大されていき、体全体を覆ってしまう。挙げ句の果てに、その出来事と直接関係のない悲しい過去にも感情がジャンプしていく。まるで石切りのように。

外側の世界も、そう。
怒っている人が一人、同じ空間にいるだけで、その怒りが全体に伝播していき、さっきまで怒っていなかったのに、なんとなく苛立ちの感情が芽生える。そして、場全体が怒りモードになっていく。ここでも、見えない波紋が広がってゆく。

 

水の波紋に話を戻すと、石が投げ入れられた瞬間は、その波紋は、しばらくすると、また「無」に戻る。逆に次々と石を投げ入れたら、当たり前だけども、波紋は広がりっぱなしだ。

ともすると、私たちは、上記の悲しい出来事や、怒りの人のように、一つのことがきっかけで、無意識的に次々と波紋を呼び込んでいるのかもしれない。だから、心が無の状態になりづらく、いつまでたっても悲しみや怒りから抜け出せない。

水の中に波紋が広がる。

その様子を、ただ、静かに眺める。

やがて、水面の水と同様、心の波紋も静まり返る。

何かをしようとするのではなく、待つこと。
その姿勢が、最も大事なことかもしれない、と川沿いの水を眺めながら思うのであった。

2020.10.20
Kayo Nomura