「対話」から始まる制作の要は○○をセンサーとすること Process of Creation

2019.11.26


先日、とある人に聞かれた
「作品を生み出す時ってどういう心境なの?」と。

なんでも、その方のパートナーが写真家だそうで、
自分の内面が満たされている時は作品を作ろう
という気持ちになれないんだとか。

むしろ家族が寝静まって一人でいる時、
孤独を感じる時、葛藤がある時にこそ
良い作品が生み出されるそうだ。
(勿論、だからと言ってそのまま
怒りを表現するようなことにはならないが)

⚫︎ 「対話」から始まる
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自分の制作過程を振り返った時に、
やっぱりキーワードとなるのが「対話」だ。

絵描きによっては、
決まった期間にしか制作しないそうだが
私は基本的に毎日制作をする。

とはいえ、大作を描くというよりは、
日々のスケッチのような絵日記的役割のものもあるし
A4ぐらいの大きさのを気楽な気持ちで描く。

何が言いたいかというと、
毎日のように描く私にとって大事なのは
日常の些細な、取るに足りないような出来事を抽出し、
それを絵に落とし込んでいくことだ。

そして、その時に必然的に必要となるのが「対話」。

⚫︎ 「対話」→「作品」への昇華
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例えば、ある日の朝、こう書いた。

「ここ1週間ぐらい、何か特別なことがあったわけではないけども、
色々なことを手放して新しくしていくタイミングが来ていると感じている。」

それって一体どういうことなのだろうか?
と紐解いていくと

「その過程の中で”もっと世界を信頼していいんだ”という想いがしっくりきた。
それは、もっと自分を信頼していいということにも結びつくわけで。
余分なものを削ぎ落としていくことに重点を置いていきたい。」

という締めくくりになった。

では、それを作品にしていくということはどういうことなのか?
と考えた際に、

外部との接触を通して感じた不信感や懐疑心を見つめていくと
「騙されたくない」とか「都合よく使われたくない」などといった
ドロドロとした感情が渦巻いていることを実感した。

その一方で、どの様な出来事に遭遇するにしても、
どこかで「絶対必要なことが起きているに過ぎない」という想いが
根底にあることに気づく。

自分を守りたい、というスタンスに入った時はエゴイスティックな側面が出て
自分の利益の外にあるものに目を向け始めると、世界を信頼しよう、
という穏やかな気持ちになる。

その二面性を描いていけないか?
と自問自答し、

「混沌としたマグマのような状態(=ドス暗いどろりとした感情)
と 
「軸がピンと張っている様な状態(=自分と世界を信頼している状態)

が対立つしつつも調和している様に描くに至るわけである。

⚫︎ 感情をセンサーとして描く行為
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勿論、上記の内容は単なる一例に過ぎないが、

私の場合、強烈なネガティブな感情や
「世界にこれだけはどうしても伝えないといけない」という
正義感から描いているわけではなくて

むしろ、毎日生活する中で揺れ動く微かな感情をセンサーとして
それを触媒に描いていっているのだ。

それは「描くこと=表現すること=生きること」と、つながっていく。

作品と生活は密着しており、地続きである。

だからこそ、決して良いことづくめではない
日々の何気ない出来事を愛でていけるのかもしれない。

2019.11.26 Tuesday(火)
Kayo Nomura

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