ミナ ペルホネン/皆川明 展 minä perhonen
兵庫県立美術館で開催中のミナ ペルホネン/皆川明 展に足を運んだ。
言わずと知れたブランドminä perhonen。
と言いたいところなのだが、恥ずかしながら、テキスタイルに詳しい知り合いが勧めてくれたこの展示を機に初めて知った。
展示は、「実」「森」「芽」「風」「根」「種」「土」「空」の9つの空間で仕切れている。このブランドを代表する刺繍柄のtambourineに焦点を当てた空間、流行にとらわれてないものづくりを軸に25年分の服を一堂に集めた空間、テキスタイルのためのデザイン画を紹介する空間、ミナペルホネンの服を着ている人の日常を映像作品に収めた場等々、どの空間唸らせるコンセプトと空間づくり。
絵を描く身としては、「種」(アイディアと試み)に特に心奪われた。
幅広い活動の根幹にある皆川明さんとミナ ペルホネンのものづくりの哲学やアイディアを、過去・現在・未来の試みを通して紹介している空間だ。アイディアノート、メモ帳の展示があり、そこに記された言葉の粒たち、簡単なスケッチ。
パリのアーティストとのジャズセッションとして描かれた作品や、東京現代美術館で描かれた大きな壁画、それに、皆川さんが将来の夢として構想している「簡素で心地よい宿」のプロトタイプも配置されていたり、とにかくインスピレーションを刺激される内容てんこもりだった。
「本当はもっと自由に描きたい。」
それを思い出させてくれる展示であった。
もうひとつ、触れておきたいのが「土」の空間。
ここでは、ミネ ペルホネンの服とその持ち主との関係性に焦点を当て、15名の方の服にまつわる物語とその服が展示されている。人生の大切な出来事や感情がミナの服、色、模様と同化し、物語を含めてひとつの作品に感じられた。この展示を通して「生きることの意味」について自然と考えが飛び、胸の奥がじんわりとした。
あとで皆川さんの最新刊『生きる はたらく つくる』を読んで、納得した。そのくだりを引用する:
ぼくたちがさまざまに、お客様に提供しようとしているものとはなにか。
それは、「よい記憶」となることではないか。そう思うようになった。最終的には、かたちそのものが目的ではなく、人のなかに残る「よい記憶」をつくるきっかけになるもの。
それを作りたいのだ。
いまつくろうとしているこれは、手に入れた人にとって絵、それを経験した人にとって、「よい記憶になるだろうか」という問いがつねにあり、願いがある。あまり意識しないままできたのだが、自分の気持ちを深くまで探ってゆくと、そこにたどりつくことになった。
(『生きる はたらく つくる』/p.200)
生まれて、生きて、やがて死んでいく私たちだからこそ、結局のところ、モノそのものではなく、そのモノを通して、培っていくもの、発酵していくようなもの。モノはその象徴に過ぎないのかもしれない。
洋服を作ることと、絵を描くことは、表層は異なる表現であるが、煮詰めていくと同じ根にたどり着く。
展示の至るところに、皆川さんの言葉が散りばめられていて、それを読み進めていくのも豊かなひと時だった。その中で最も、心に残ったものを記載して、本日のKayo-bi Journalとする。
自分らしいいことしか結局伝える力にならないから、その自分らしいを磨いていくしかない。
2020.7.28
Kayo Nomura