「今」の積み重ねが一生を決定する Living Now and Present


昨日、大阪北部地震が発生した。
それに伴い、真っ先に思い出したのが、東日本大震災で感じた想い。

● 7年前の、あの日のこと
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2011年3月11日に地震が発生した当時、
私は新宿のオフィルビルにいた。

展示会を主催する会社で海外広報や、
海外から来場者を誘致する仕事をしていた。

その翌週から念弾だったイタリア出張が控えており、
嬉々として準備していた時に発生した地震。
(なぜ念願だったかというと、海外で活躍する
ビジネスウーマンになることが当時の夢だったからである。)

その日、交通機関が機能しないまま、4時間以上かけて帰宅した。

帰る途中で電気屋さんの前を通ったら、東北地方が、
まるで映画のように、見たことのないような景色になっており、

「これが日本なの?」「本当にこれが現実で起こっているの?」と
にわか信じられないような気持ちになったのをありありと覚えている。

その時に、思ったのだ。
いつ、どこで、何が起こるかなんて、わからない。
間違いなく続くと持っていると思っている明日は、
実は、来ない可能性だってある。と。

● 最善を尽くす人生って?
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その翌週出社したら、海外出張どころではなくなっていたどころか、
海外からの来場者や出展者が日本に来るのを躊躇する内容の問い合わせが会社に殺到していた。

この一連の出来事の中で、
「本当は、どう生きたいの?」
という問いが出てきた。
幾度となく問うてきたこの問いが、
どこまでも切実なものとして、
突きつけられたのだ。

「このままの生き方で、
自分の人生を生き切ったと言えるの?」と。

● ちゃんと生きる、の意味
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その半年後には会社をやめていた。
そして紆余曲折を経て、絵を描く人生を選んだ。

昨日の地震で蘇ってきた想い。
「ちゃんと生きたい。」という切実な想い。

ちゃんと生きる、ということは
私にとっては、今を生きるということ。

過去の後悔や
未来の不安に
囚われず

ただ、ただ、
今、目の前のことに集中して
生きること。

他人の評価を気にせずに
ただただ、自分のすべきことを
全うしていること。

こうやって言葉にすると、
極めて当たり前のように感じるし
見方によっては滑稽にさえ思えるかもしれない。

だけども、
一体、本当の意味で
どれだけの時間、「今」を生きているのか?

どれだけの時間、自分の使命を全うしているのか?

私は今、この人生において
最善を尽くしている、と言えるのだろうか?

地震を通して思い出される
命の有限さ。
天災の恐ろしさ。

人間は、大自然の流れの中では
ちっぽけな存在である。

歴史の中を紐解いていくと
人の一生なんて瞬時に終わる。

それでも、「今」私達は確実に生きている。
その「今」をどう使うのか。

それが人生を決定するとしたら、
どのように「今」を生きるのか。

すべての出来事は、必然であるとしたら
一体、目の前の出来事は、何を伝えてくれているのか。

2018年も、半分が過ぎ去った。
この一年を振り返った時に、何を得ていたのか、
どうなっていたいのか。
そのためには、何を今、するのか。

すべて「今」の積み重ね。

自戒の意を込めて、本日のKayo-bi journalとさせていただきます。

最後に、今回の地震で被害にあわれた皆様に
心よりお見舞い申し上げます。

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2018.6.19 Tuesday(*KAYO-BI)
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。