「この世界の片隅に」を通して感じる 光と闇 Life as a Whole
映画館で映画を見たのは
いつぶりだろう?
人からの強い勧めで見に行ってきた
「この世界の片隅に」
ホロホロと、涙が溢れる内容だった。
時は戦時中。
舞台は広島の呉。
呉に嫁いだ、すずさんの物語。
戦争の映画は、
なるべく見たくなかった。
幼少期に聞いた祖父母の戦争体験談も、
どこか上の空で、真剣に聞けなかった。
直視したくなかったから。
人間の持つ、悪・闇、を。
人類が犯してしまった間違いを。
●目の前の現実
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上映中、胸が痛かった。
なんで、同じ人類の者同士が憎しみあい、
殺し合いをしないといけないのか。
それも、一般庶民を巻き込んで。
沢山の疑問と、それでも、
目の前の現実を受け入れて生活を続けた
すずさんの日々の生活を垣間見て
生きること
について、あたらめて
考えを巡らせた。
●宿命と運命。
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どの時代に、どんな親のもとで
どんな容姿で、生まれてくるのか、
なんて自分で決めることはできない。
生まれた瞬間から決まっている。
そして、幼少期の体験が、その後の人生に
大きく影響を与えていくことを考えると
人生で体験すること、というのも
あらかたレールが引かれているのかもしれない。
それを好むと好まざると。
自分で選んだ、と思っているものも、
幼少期に培った価値観や観念で動かされているとしたら
自分は自発的に何かを選んでいるようで、
実は条件反射的なものに過ぎないのかもしれない。
そう考えると、運命と宿命は同じことになる。
●生きるとは受け入れるものを増やしていく行為
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「この時代に生まれたくなかった」
「日本人として生まれたくなった」
「この両親のもとに生まれたくなかった」など、
自分が生まれ育った環境に対して
不平不満に思うことって
誰しも幾度となくあると思う。
それでも、それをいくら呪っても、
変えられるものと変えられないものがある。
だから結局のところ、平たく言うと、
嫌だなぁ、って思っていることを
受け入れていくしかない。
映画の中のすずさんの身にもたくさんの出来事が起こってくる。
到底受け入れることができないような、身を裂かれる想いも体験する。
それでも、生きていく。
そして、生きるということは
日々やるべきことをやっていくこと。
すずさんの場合だったら、ご飯を作り、
掃除洗濯をし、家庭を守ること。
●「悪」を通して、考える
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現状を変えることができなかったとしても、
与えられた、この命をどう使っていくのか、
それは、各自が考え、
行動に移していくことができる。
人類にとっての、
戦争という闇を直視することでしか
学べなかったことがあるように、
私たち一人一人の中にある
受け入れがたいものを、
逃げることを通してではなく
向き合っていくことこそが、
より良く、より豊かに
生きる糸口になるような
気がしてならない。
そして、思う。
光と闇を通して、作品作りに
これからも励んでいきたい、と。
::::
もし、「生きるということ」について
考えることがあれば
おすすめします
「この世界の片隅に」劇場案内
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2016.11.22 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日にブログを更新しています。
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