体験こそが贅沢な時代 Just MOVE It!

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先日、和歌山に行く機会があった。
和歌山といえばミカン、というイメージしかなかったが、
美しい海と山、自然を堪能する時間となった。
…と、別に旅の日記を公開したいのではなく、
和歌山に行ったことを通して感じた
「ちゃんと体験することの大切さ」について
今日は綴っていきたい。

 
●「知識」と「体験」の違い
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突然だが、私は小学生時代のほとんどをアメリカで過ごした。
平日は現地校へ、土曜日は日本人学校に行く生活だったのだが
小学校5年生の時に、日本人学校の社会の授業で、
日本の都道府県と県庁所在地を全て覚えて地図に書き出す、
というテストがあった。
アメリカの50州を覚えはすれども、その当時の私は日本に馴染みがあまりなく
結果として、日本の地理を覚える意欲は全くなかった。
よって、ひどい点数をとったのを記録している。
しかも、100点満点を取れるまで、そのテストを
受け続けなくてはいけなかったのだが、毎回ひどい点数だった。
(その点数が父にバレて徹底的に教育されて泣く泣く
100点取れるようになったのだが、それはまた別の話。)
何県がどこにあるか等という日本の地理に対する興味関心が
当時の私にとっては全くなかったので、ひどい点数を取り続けたのも
当然といえば当然だ。
(普通に最初から100点を取っていたクラスメイトもいたけども、、
それもまぁ、、また別の話。)
 
●「知識」が「体験」となる時
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その後、日本に戻り、神奈川や愛知や京都や滋賀や東京や福岡などに住み
仕事でも営業職としていろんな土地に行くことになった時に、
初めて知識が体験とつながったのだった。
「ここが関西地方なのね。お、ここから中部地方か。」とか、
「あれ、滋賀って北陸地方とも近いんだ。」とか、
実際にそれぞれの県に行くことによって、
私の中にあった平坦な日本地図が各県で埋まっていったのだった。
 
●血の通った知識にする為には
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ついでにいえば、アメリカと比べて日本はちっぽけな国だと思っていた。
確かに面積上でいえばアメリカは日本の25倍だし、
私が住んでいたカリフォルニア州がちょうど日本と同じサイズ。
だけど、大阪から和歌山に実際に電車で移り変わる景色を眺めていくと、
「日本も広いなぁ」としみじみと感じ入らないわけにはいかなかった。
ここで何が言いたいかと言うと、
体験していないものをいくら知識として詰め込んだとしても
それはただの評論家にしかならないということ。
知識が悪いと言っているわけではなく、
体験とセットになった時に初めて血の通った知識となる。
 
●肉体を持って生まれてきた理由
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年を重ねれば重ねるほど、私たちは知識だけで何もかも
わかったような気持ちになってしまうかもしれない。
でも、この世に肉体を持って生まれてきたのは
頭でっかち人間になるためではなく、
手足をフルに動かし、体を通して、
たくさんのことを体験するためだ。
だから、行動することに億劫になっていたり
ネットを見て、全てのことを知ったような気持ちになっているのではなく
実際に外に出て、人と会い、いろんなところに行き、
たくさん笑って、たくさん感じて、日々を過ごしていけばいい。
SNSやネットを通して世界のことが瞬時に
わかってしまう時代だからこそ、
体験こそが贅沢な時代に
今、私たちは生きている。
そんな当たり前のことを、電車から眺める
和歌山の風景を見ながら感じたのであった。
無論、そこからインスピレーションを得て、
作品も生まれたということは言うまでもない。
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2016.8.9 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日にブログを更新しています。

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