旅は未来への種蒔き Journey as a Seed to the Future

定期的に旅に出るようにしている。
理由はシンプルだ。

まだ見ぬ世界を見たいから。
まだ見ぬ自分を見たいから。

そしてそれはまだ生み出せていない
絵を描く行為を通して、

まだ見ぬ作品に出会いたいから
と地続きにつながっている。


● 生きたお金の使い道
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家計簿を見てみると、飛び抜けて高いのが
旅費と画材費への出費。

旅に出て、画材屋さんにいくとすごいことになる。
(今回のスウェーデン・スイス旅行のように。苦笑)

でも、このふたつに関しては、
状況が許す限り、ケチりたくないと思っている。

画材費は自明すぎるので置いておく。

旅について語りたい。

旅って、言わずもがなだが、モノとして残るものはない。
(写真と土産などを除くと。)

それでも、最も素敵な投資の一つだと私は思っている。
というか、旅以上の生きたお金の使い方を私は知らない。

それぐらい、旅というのは、私にとって生きる上で重要な要素だ。

● 「未知なる体験」が養分に
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植物に水を与え、十分な光を当てると
すくすく育っていくのと同じように

人間にとって、「未知」を体験することは
その人の器を大きく深くする養分になると

私は思う。

新しい土地に行き、これまでの価値観が通用しない場所で
自分の枠を取り外した状態を体験することは
自らを育て上げる、と。

何故か?

日常の中で生き続けることは、
安全だし勝手知ったるルールが存在し
驚くことや混乱することは極めて少ない。

今までの自分がそのままずっと続いていくイメージ。

続いていくからこそ、
未来の自分も想像できるし、想定内に収まることが多い。

自分の延長線上の中でしか見えない中で
器を広げることも深めることもできない。

逆にいうと、想定外な状況の中でこそ
それは可能になる。

それを、私は旅に出ることで叶えている。

● 自由で孤独で新鮮だ。
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何も、旅に出たからと言って、
「お!私の器大きくなった!」と
思っているわけではない。念の為。

でも、場と環境をドラスティックに変えることで
描く作品に少なからず影響があるのは確かだ。

それは描く線だったり、選ぶ色だったり、
全体の構図だったり。

数にしても、日本にいたら1ヶ月かかるであろう作品数も
制作の旅に出ていると、10日間で同じぐらいできる。

その理由にはいくつかあると思うけども、
その最たるものは、いつもの自分のパターンを変えられるから。

いつものアトリエ。いつもの天気。いつもの気配。

それらから抜け出すことで、
「今」に集中しやすくなる。

今、自分が描いているもの。
今、自分が身を置いている場。

それはどこにも繋がっていなく
自由で孤独で新鮮だ。

その環境がより純粋に絵に向かわせてくれる。

● 変化は本当は常にある。
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幼い頃から引っ越し、それに伴い転校が多かった私にとって
変化こそ、常だと思っている節があるのも確かだ。

変化に対する耐久があるかもしれない。

話は変わるが今回、
村上春樹著の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
を旅のお供として持ってきた。

これを読むことで、
変化と日常についての認識がよりよく納得できると
私は思うのだが、

本当は、自分が日常の中に身を置き続けても
ゆっくりと周りは変化し、それに伴い、
自分もじっくりと変わっていく。
年齢も重ねることで変化することもあるだろう。

でも、それはあくまでも受け身的な変化だ。

純粋な変化は、自ら機会を創り出すことで
得られるものだと私は思う。

● まとめ
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これからも、私は状況が許す限り
旅に出ては絵を描く行為をしていくだろう。

そしてそれを個展を通して発表していくだろう。

これまでの旅に関してはインスタグラムの
ハッシュタグ #kayotraveldrawing をご覧ください。

今回描いた作品たちは、
9月の世田谷百貨店での個展(こちらの詳細
10月の京都の個展(こちらは追って)
でそれぞれ展示予定です。

ご都合の合う方、ぜひ足を運んでくださると嬉しいです!

さて、次の旅はどこに向かおう?

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2019.8.13 Tuesday(*KAYO-BI)
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。