身から出たものを客観視するために Into Bird’s Eye
6月の始まり。
いつも、月初めは新しい風を運んでくれる。
現在大阪で開催中の個展も終盤に近づいている。
搬入と初日を超えて、中盤になり、最終日が見えてくる頃、同じ作品たちを、同じ展示を、同じように眺めていても、異なる心持ちが出てくる。
搬入と初日はひたすらドキマギしていながら時を過ごし、「ここまでよくやったね」という想いが強い。そして作品はまだ自分の一部のような感覚がある。
それが、中盤も過ぎると、より「間」を開けて自分の作品と対峙するようになる。冷静になるというか、客観的に眺められる余裕ができるというか。
在廊中、様々なご感想やご質問を頂くことも影響している。
好意的な内容が多いけれども、なかには「ウッ」とくる内容も、なくはない。(一応付け加えておくと、それは批判とも違うし、その方のフィルターを通して感じたことを伝えてくれているに過ぎない。)
でも。そのような内容から、「確かにそうだ」と納得したり、「でもやっぱり自分はこう思う」という核を見つけたり、もしくはモヤモヤした感触と共に何日間かいて、突然「あ!そういうことか」と腑に落ちることもある。
相手がどういうつもりでその内容を指摘したにせよ、”ショック”を受けることが重要だったりする。(内容が抽象的で申し訳ないが、この段階で具体的なことはまだ言えないし、あえて言うこともない内容だ)
そして、それこそが個展をする醍醐味なのかもしれない、とも思う。
違う角度で伝えると、絵を描いている最中は、主観的に描いている。(当たり前か)
でも、一旦作品にサインをして、額装し、展示をすると、私の身を離れていく。
そうすることで初めて、冷静に眺めることができるものだ。逆に言うと、そういう「間」がないと、自分を通して描いたものは主観のままであり続けてしまうことになりかねない。(もしくは長い間、時間を置くか)
で、さらに客観的に見てくれるのが、会場に来られる皆様だ。(これも当たり前だけども)
無論、初めて来てくださるお客様と、私の作品を長年ご覧になってくださっている方とでは、異なる目線ではあるだろうけども。それでも。
長々と書いたけども、何が伝えたいかと言うと、主観を離れて客観の目で、自分の制作物と対峙することはとてつもなく大事な行為だということ。
それは絵描きにとっては個展なのかもしれないが、歌手にとってはコンサート、物書きであれば本にするということなのかもしれない。はたまた、たくさんの人の目をくぐり抜ける必要もないのかもしれない。
それでも、やっぱり自分の主観を離れて、客観の目に持っていかせる「場」があるのとないのとでは、今後のアウトプットは確実に変化する、と私は強く思う。
個展というのは、自分のためにもあるものだ、と今回の展示で強く実感した。そして、まだまだ伸び代がたくさんあるなぁ、、とも(遠い目)
いづれにせよ、今回の展示は私にとって、特に貴重なものであり、残り数日間、そして最終日と搬出を終えて、どのように気持ちがここからまた変化するのか(あるいはしないのか)を楽しみにしながら最後まで楽しんでいきたい。
まだ終わってはいないけれども、いつも応援してくださる皆様に感謝の気持ちをお伝えして本日のKayo-bi Journalを終えたいと思う。
いつも、本当に、ありがとう。
2021.6.1
Kayo Nomura
(photo by 大岡由和)