「今」を実感するための試み Improvised Movement

2019.10.22

今月はライブドローイングを2回開催した。
1回目は先週お伝えした通りだが、
2回目のは音楽とダンスとのトリオでの表現の場だった。


企画をしてくださったのは様々なジャンルの方と即興ライブを行う
インプロバイザーのたんのとしさん。
クラシック・モダン・ジャズ・コンテンポラリーなどの身体表現から成る彼女の動きは
優雅さと大胆さと予測不能な即興性に満ち溢れている。

音楽の担当はサックス奏者の川崎知さん。
インプロヴィゼーションをベースにプリミティブでフリーなブルースを奏でるのを得意としている。

たんのさんは10年ほど前に「COCO-DAYO Improvised Expression」を立ち上げ、
これまでに5回、このような場を持ってきたそう。
絵とのコラボは初めてとのことで、
どんな場になるのか彼女自身わからない中での当日を迎えた。

蓋を開けてみたら、大枠の時間帯(前半と後半を挟み、休憩をとることや、全体の開催時間など)は
事前に決めたものの、どのように始まり、どのように終わるのか等は、その場の中(本番)で決めていく、
というまさに即興な展開となった。


のちに、全てが終わった時にたんのさんが
「自分と共演者と今という瞬間をどこまで信じているのか試されるような気持ちになった」
と感想をもらしていたが、その表現に全てが詰まっているように感じられた。

これまでに私が実践してきたライブドローイングでは、音楽は即興性はあまりなく、
私がいかに即興で描けるのか、がカギだった。
しかし今回は、音楽も踊りも即興を重んじる空気の中で、
私もより「今」に焦点を当て、どれだけ場と空気と一緒になって
インスピレーションのもとで描いていけるか、を試された時間だった。


無意識的に枠の中に囚われていた自分、そして
予定調和の中ですんなり納めてしまいたいと思ってしまう自分。

これらは「今」に不在になっているということであり
自分と周りの力を信じ切れていないということでもある。

別の表現で言うと、本当は
音楽と踊りと調和していてもいいし、
そこからはみ出してしまってもいい。

描くことを「待つ」ひと時があってもいい。

即興に100%の正解なんてありはしない。



これは、全てが終わった後に知さんがおっしゃっていたのだが
「全て、日常自体が即興なんや。」と。

あまりにも当たり前すぎてすり抜けてしまいそうな言葉だけども
本当にその通りで。

人との会話も、台本が用意されているわけではなく、
その瞬間その瞬間、リアルな本番の連続で。

「こうあるべき」「こうしないと」
と言うのは過去から自分が培ってきた価値観にすぎないだけ。

例えば、会話だと即興ですることは簡単でも
それを言語以外で表現するとなると一気にハードルが上がり、
身構えてしまうものなのではないだろうか。

それは表現者だけではなく、観る側も。

Improvised Expressionという名の通り、
即興で表現することに正解も間違いもないわけだから
自分が今この瞬間をどう感じ、どう反応するのか

それがあるだけな気がしている。


結局いつも同じようなことを言っているような気がするが
「今、ここ、という瞬間を大切にすること」
これに尽きるのではないだろうか。

それが目の前の人との会話であろうと、仕事中であろうと、食事であろうと。

それがすなわち、目の前に集中することにつながることであり、
もっともエネルギーに満ち溢れている状態になるのだから。

だけども、あまりにも私たちは、「今」という瞬間から断絶されているから
あえてそのような場を求め、表現したり鑑賞したりすることが必要なのではないだろうか。

そういう意味で、私自身、より「即興性」に準じた活動の幅を広げていきたい
と思ったイベントでした。

お誘いくださったたんのさん、ご一緒してくださった知さん、
どのような展開になるのか未知な場を共有してくださった皆様、
ありがとうございました。

2019.10.22
Kayo Nomura

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