「生きている」のではなく「生かされている」 Human as Part of Nature

何日間か自然の中に身を起き、山を登り、川を渡り、苔の上を裸足で踏んだ。
普段、コンクリートに塗り固められた環境から、五感全体で自然を感じることで、見えてきたこと。

それは、私たち人間、一人ひとりの人間が、「生かされている」ということ。
「私が生きている」のではなく、「大自然の法則によって生かされている存在に過ぎない」。

それは、主体と客体の転換が行われるということでもある。

大きな歴史の流れ、何百年・何千年も生きながらえる樹林を前に、人間の長くて百年ほどの人生は点に過ぎない。圧倒的な自然を前に、到底太刀打ちできない非力さを実感する。

でも、だからと言って、無論、この命を蔑ろにするわけでもない。
むしろ、だからこそ、この命をまっとうしたいという、責任と役割、使命を腹の底からふつふつと感じ取る。

自然の中に身を置くこと。
それは旅に出るのと同じこと。
現実と現実の間に、「自然」という余白を挟むことで、大袈裟に言えば、人の一生は様変わりする。
人生の彩り・色彩をより豊かに潤し、人生の土台に豊穣な地を創る。

 

いよいよ今週末から始まる個展Sense of Wonderでは、そんな生々しい自然の感覚を、加工せずにお見せできる展示になるといいな、と思っている。

 

Kayo Nomura
2021.5.17