グループ展//香川ヒメとゲナン 終了報告

終わってみたら幻だったのではないかと疑うぐらい、初めから終わりまで、なんとも不思議な空気に包まれていた香川県さぬき市のイベント「ヒメトゲナン」。
どう言葉にしたらいいのかわからないままに日々が過ぎてゆきそうだけれども、全てが記憶から消え去ってしまう前に、今ある気持ちをたぐり寄せて、言葉にすることを試みたい。

ことの始まりは昨夏、企画者の及川みのるさんからのお声がけだった。
「はちどりという空間で色々な作家さんたちを集めた展示に参加しない?」と。実際に打ち合わせに行って会場を見せていただいたら、それはそれは素敵な場で。そしてみのるさん自身も、芯のある魅力あふれる作家さんで、出会って間もなかったけども、この人の誘いにはとにかくイエスと言おう、と参加を決断したのだった。
でも、具体的にどんな展示になるのか、そして他の参加作家さんが誰なのか、全てヴェールに包まれたままだった。

昨年12月に初めて15名の作家皆でzoomを繋いで話をしてみたものの、一回で誰がどなたか覚えられるはずもなく。また、内容自体も、みのるさんからいくら聞いても「???」となるような説明ばかり笑。同じく絵画で出展する2名の作家さんを事前にみのるさんから紹介いただいたものの、彼女らも「何をどう準備したらいいかねぇ笑」なんて言いながら、日々は過ぎゆく、過ぎゆく。
時にみのるさんと1対1でzoomを繋いで話しもしたけども、コンセプトもやっぱりわかるようでわからない。
ならば、このわからなさを抱いたまま、自分なりに展示の解釈をして、作品を用意し、空間を作っていこう、とどこかのタイミングで振り切ったのだった。

そうこうするうちに迎えた搬入日。
ほぼ初めましての作家さんと高松駅で集合し、はちどりへ。着いたらすぐに搬入開始。と思いきや一時間半後にリハーサルがあるという。「リハーサル??」何のことやらと思ったらそれはプレオープンのことだった。まだ搬入半ばだし、「えー!」と思いつつも、その合間に衣装合わせ!もあって、目まぐるしく搬入日終了。

私に与えられた部屋は「カヨの部屋」。「カヨちゃんはなんか占い師っぽいから」と事前にみのるさんに言われつつも、それもヒントになるようなならないような。とにかく私は「絵と対話する」ことができる空間になればいいな、と思い、Layers of this Moment Seriesを中心に、壁一面にダダダっと並べた。

さらにそこに質問箱を用意。色々な質問を用意し、質問に答えるために作品を見て、自分なりの答えを大きな紙に書いていく、という実験的な取り組みをしてみた。
絵を鑑賞する際、「これは好き」とか「これはそうでもない」とか、なんとなく漠然と作品を観る方って案外多い気がしていて。問いを投げかけることによって、作品を見る視点が変わるかもしれない、そしてそれがきっかけで新しい自分を発見するきっかけになるかも!と意図したのだった。

結果的にそれはとても良い試みだったように思う。
例えば「1番気になる絵は、自分にどんなメッセージをあなたに与えてくれていると思いますか?」という問いかけに対しては、まず自分にとって気になる絵ってなに?というところから絵を見ていく。その上で、それがどんなメッセージを与えてくれているのか、を考える。
感覚のフィルターをもう一段下げて、自分の内側をのぞいてみる。そこには思いがけないメッセージが含まれていたり。

初日めがけて来てくれた友人が引いたのは「あなたが一番好きじゃない絵はどれですか?それはなぜですか?」。彼女が選んだのは極めてシンプルな作品。「本当はシンプルでありたいのに、複雑な色合いの作品の方が好きなの!」って。面白い。

絵って、自分の内面をよりよく知るための手立てとなると常々思っていて、直前までどうするか悩んだけども、実験する機会ができて、密かに嬉しかった。

 

9年前に、右も左もわからずに初めて「個展」たるものを開催したけども、その時のバクバク感は今でも昨日のことのように思い出す。

絵を描く、それを展示する。

と書けばシンプルなもののように思えるのだけども、どの作品を?どれぐらいの大きさで?額はどうする?どうやって告知する?DMってどうやって作るの?誰に依頼するの?いつまでに何を準備したらいいのだろう?
考え出したらやることだらけで禿げそうな日々だった(文字通り、髪の毛がたくさん抜けた、ストレスが髪にきたんだと思う笑)

その初めての個展のことを、今回の香川展示「ヒメトゲナン」で思い出した。わからないことを分からないまま進む、怖さとワクワクとが入り混じる感覚。
みのるさんの中には壮大な地図が描かれていたのだろうけども、それは最後までみのるさんの中にあったもので。

それでも、初日が終わり、2日目、最終日と時間を重ねていく中で、場が成熟してくるのを感じた。作家たちと出店者、はちどりを営む樹工舎の皆さん、裏方サポートしてくれた皆さんみんなで創り出した感覚。まるでひとつの劇を完成させた実感が私の中にはあった。

在廊中、私たち作家にはいくつかの決まり事があって、参加された皆さんはそれを目の当たりにしながら、それぞれの冒険の旅を堪能したことでしょう。きっとこの体験は、SNSや写真や言葉では1ミリも伝わらない。だから、ヒメトゲナンについて書くのはここまでにする。

代わりに、今回の展示を体験することで改めて感じた、制作についての考察を。

最終日の朝、開場前に、参加作家さんたちそれぞれの作品を、作家本人が皆に紹介する時間が設けられた。その時まで、きちんと作品のことを本人から聞く時間はなかったので、それはそれは尊い時間だった。

今回の展示には、陶芸、木工、漆など、さまざまな表現活動をしている作家さんたちが集っていた。

どうやって制作しているのか?コンセプトは何か?材料は?
それぞれの想いを聞く時間は、一言で言うと、美しかった。
作品を前に説明をしているその姿に魅入られ、思わず涙が溢れそうになった。

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表現すること。
それを世に出すこと。
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芸術というのは、なくても生きていけるものでは、ある。
それはコロナ禍で何度も聞いた「不要不急」という言葉から思い知らされた。
それでも、間違いなく、芸術は確実に心を豊かにするものだと私は信じている。
何よりも、制作を通して、私自身の心が潤う。

「自分の内側にはこんなにも幾重にも重なる色彩が溢れていたんだ」
「言葉にならない想いを絵にするとこんな表現になるんだ」って。

それが必要不可欠かどうかとかそういうことではなくて、ただただ生み出したいから制作する。
根っこにあるのは純粋は想い。

そのピュアな気持ちをストレートに思い出す展示でもあった。

このような企画は、きっと最初で最後のことだろう。
振り返れば奇跡のようなひとときだった。

搬出後の夕空は思いの外美しく、一緒に搬出を手伝い、車を運転してくれたヘアメイク担当のみっちーと思わず見入った。
そしてこうも思った、「今という瞬間は、二度ない」ということを。

二度ない瞬間を重ねて私たちは生きている。
解散するのが寂しかった。たった3日のことだったのに、初めてお会いする方も多かったのに、長い間ともに人生を過ごしたかのような濃密な時間だったから。

人生には偶然はないと思う。
全て、必然で必要。

このヒメトゲナンの本当の意味が腑に落ちるには、まだまだ時間を熟成させていく必要があると感じている。
1年後、5年後、10年後、経った時に、初めてわかることなのかもしれない。

尊い時間を、ありがとうございました。

そして、謎だらけなまま、参加くださった冒険者の皆様にも心より感謝します。
ありがとう。またどこかの冒険で、会いましょう。
まる。