表現したいもの Expression as Art
制作をするということは、自ずと、自分との対話をする、ということ。
それは時に楽しく、時に辛く、概ね興味深い体験だ。
約10日後に始まる大阪個展(詳細はCLICK)では、制作中に感じたことやその合間に考えたことをひたすらノートに綴った。そのノートは会場で閲覧できるようにする予定だ。
本日はそのノートから一部抜粋した内容を。
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(絵を通して)何を表現したいのか。
一過性のものではなく、普遍的なもの。
過ぎ去りゆく日々の中で、結晶化して、残っていくもの。
ふるいにかけたら、ふるいの上に残り続けるもの。
その人固有のものであって確かに「その人」なのだけども、同時に人類皆にも共通するもの。
それって一体何なのだろう。
人間という括りの中に、実にさまざまな人間模様がある。
なかには到底分かり合えない、という人も、いる。
それでも。同じ人間である。
見た目や育った環境や考え方を全て取り除いていったら、同じ人間。
では、人間とは何だろう。
哺乳類。直立歩行する。植物のように、ずっと同じ場にいない。動物とは違って思考がある。考える力。それを活用して、文明が発展してきた。
それぞれ個として存在している、かと言って、ひとりでは生きていけない。きっと、これは想像に過ぎないけども、誰もが幸せになりたいと思って生きている。勿論、人によって幸せの定義は異なるけども。
幸せに生きる、ということと、1日でも長く生きられること。まずは、安心安全が確保されていなくてはいけない。その上で、例えば、自己実現とか、他者への貢献とか、各々の考える幸せになるためのツールを目指してい生きている存在。
私たち人間の奥底には魂が眠っている。仮に輪廻転生があるとしたら、魂を磨き続けるために、生かされているのかもしれない。魂を磨き続けるとは、端的に言うと、より良い人間になってゆくということ。すなわち、愛せない人を愛せるようになること。自分中心の世界から、世界中心、人類中心の世界に考えられるようになることではないだろうか。
全ての出来事は、そのためにあるとしたら、どういう作品ができるだろうか?
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2021.5.11
Kayo Nomura