言葉を置いて心に潜る時間 Don’t Think, FEEL

小林秀雄の講演集を一冊にまとめた「考えるヒント」という本がある。

その中に”美を求める心”という講演題目がある。
昭和32年に講演したと記載があるが、令和3年の今、読んでも全く色褪せず、変わらず大事だと思う内容だ。

例えば。

「若い人達から、よく絵や音楽について意見を聞かれるようになりました。近頃の絵や音楽は難しくてよく判らぬ、ああいうものがわかるようになるには、どういう勉強をしたらいいか、どういう本を読んだらいいか、という質問が、大変多いのです。

(中略)

極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではなりますまい。」と。
(「考えるヒント3」/p.39)

私たちは、ともすると、感動の前に思考や知識で「わかった」と思ってしまいがちだ。
言葉でわかったふりをして、言葉なきコトバを、真の意味で理解し損ねる。

以下のようなくだりもある。


見ることは喋ることではない。言葉は目の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それはすみれの花だとわかる。何だ、すみれの花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でおしゃべりをしたのです。すみれの花という言葉が、諸君の心のうちに入って来れば、諸君は、もう目を閉じるのです。(「考えるヒント」/p.42)

何も言葉を悪者にしたいわけではない。
ただ、時と場合にして、芸術を真の意味で理解するのに、知識や言葉が荷物となってしまうということだ、本当の意味で理解するための。

頭が心よりも一歩先に歩いてしまう現代人の私たちにとっては、
使い古されたフレーズだけども
Don’t Think, FEEL.
に重きを置く時間を持ってみるのといいのかもしれない。

2021.7.27
Kayo Nomura