自由で何が悪い? Art is About Realizing its Freedom

IMG_3190
5月の緑は美しい。
さめざめと雨が降っている時も、日差しに照らされているその様も、同様に、美しい。
 
つい先日、名古屋にある小幡緑地に行ってきた。大きな面積を誇る自然公園で、遊具や池、散歩道を兼ね備えている。その日は雲がかった天気ではあったが、たまに太陽が顔を出し、新緑だらけの木々を優しく照らしていた。
 
ベンチに座り、休憩がけら、溢れんばかりの緑たちを描こうと思った。
でも、葉っぱが緑だからと言って、緑色で描くわけではなく。
ふっと手にとったのは、虹色鉛筆だった。紫、青、緑、黄色、オレンジ、赤の6色が芯に入っており、描く角度によって、出る色が変わるという、予測不可能なのがウリのこの色鉛筆。
 
出だしは黄色だった。するすると葉っぱや枝を描くうちに、色は赤、紫、青、とどんどん色合いを変えていく。
数分経って出来上がったスケッチは、虹色の木々。
IMG_3220
それと実際の葉っぱ達を見比べながらふっと思うこと。
実際に見える色で描くことに固執する理由なんて全くないのではないか、ということ。
 
この世界を生きている中で見える色合いで絵を描くということは、常識的な色彩色を放つということ。写実的になりがちだということ。
それはそれで美しく、絵としての魅力がある。
 
だけど、いつも見える景色を少し違う角度で見たい、とか、常識にとらわれたくない、と少しでも思っているとしたら、実際に見える色合いとは違う色で絵を描いてみることをお勧めしたい。
 
実際にどう見えるか、なんていうのはその人の判断でしかないのだから。
自分にとって、緑色が虹色であれば、そう彩色することはなんら悪いことではない。
 
絵はどこまでも自由だ。
「正確に描かないと」「うまく描かないと」「見たとおり描かないと」という学校教育の縛りを脇に置いて描いてみてほしい。
何が良くて何が悪い絵なんていうことは、全くないものだから。
 
その試しに、虹色鉛筆を握りしめて、スケッチに出かける、なんていうのもこの季節ぴったりではないか。
 
こんなことを書いているうちに、早くワークショップを開催したくなってきた。
絵というツールを使って、自分の中にある価値観という縛りに気づき、より自由に創造的になれる自分を作っていく、そんなワークショップを。
 
告知は改めて、本ブログ内にします。
 
2016.5.17.Tuesday (KAYO-BI)
Kayo Nomura

Leave a Reply

Your email address will not be published.