絵と言葉を行き来する Art and Language
今週のKayo-bi Journalは
先週の「絵と言葉の考察」
についての続きです。
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絵を描く行為は、
言葉とは異なる手段を
手にいれる方法でもある
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昨日を持ちまして、個展「日々のたね」は終了したのですが
その中でも、やはり、感じたことは、絵と言葉のリンクについて。
一旦話が逸れますが、
今回の展示で不安に感じたことがありました。
それは、制作日記を公開すること、そして
絵の隣にまとまった文章を提示すること、
つまりは、言葉と絵をリンクする形で展示することは
ともすれば、絵のチカラを弱めてしまうのではないか?
という不安でした。
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描いたものを見せるものが個展の定義だとしたら
文章を伴うことにより、
絵の価値を自ずと下げてしまうのではないか?
と思った ということです。
でも、蓋を開けてみると
「言葉があって良かった」と
言ってくれる来場者の方が多くいました。
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そもそも今回の展示は、抽象画というものを
より鑑賞者の方に身近に感じてもらうために
・どういう状況の中で
・何を感じて
作品が出来上がったのかを
紐解く内容にしよう、
というコンセプトでした。
だからこそ、鑑賞者の方は
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言葉がセットだから、より良く作品を理解できた
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理解できるからこそ、親近感がある
↓
自分の体験に紐づけて、作品を取り入れることができる
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となったと思うのです。
見ても「わからない」と感じたら
それで鑑賞終了、となる。
でも、そこから、普段から馴染みのある言葉が
あることで、より良く理解に繋がる構図が出来上がる、と。
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図らずとも、日記の言葉に好印象を持ってくれた方が多く、
「エッセイ集をだしたほしい」「出版してほしい」
と言ったありがたいお声もいただきました。
普段何を考えているかを公開することの恥ずかしさ
を乗り越えて、書き連ねて言って良かったなぁ、
としみじみと思います。
と、話が逸れてしまいましたが、
要は何が言いたいかというと、
言葉があったからこそ、
来場してくださった方とのコミュニケーションが増えた
ということです。
実にシンプル。
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勿論、作品というのは本来は言葉なんて
いらないものなのかもしれない。
でも、美術館に行けば、音声案内があったり
図録があったりするのと同じように、
個展にもそのような仕組みがあっても
良いんだな、と思えました。
読みたい人は読み、聞きたい人は聞き、
知りたくない人は、純粋に絵を鑑賞したらいい。
それが結果として腑に落ちた体験の展示でした。
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展示は終わりましたが、
私にとっての「日々のたね」は
生きている限り続きます。
そして、あなたにとっての
「日々のたね」も続いていく。
それが一体どんな実を咲かせるのか
楽しみながら、日々を、生き連ねていきましょう。
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今展にお越しくださった皆様、気にかけてくださった皆様、
オーナーの濱さん、スタッフの司くんと池さん、
ありがとうございました。
2019.6.11
Kayo Nomura