否定も肯定の一部だから。 Acceptance and Denial

2019.07.30

突然ですが、大学生の頃の話からスタートします。


大学3年生が終わり、4年生に進む時、休学をして
イギリスに一年間、インターンシップ留学に行った。

小学生の大半をアメリカで過ごした私にとって
価値観の相違や和を重んじるお国柄に嫌気をさしていて、
もっと言うと自分が日本人であることにまでも嫌悪していた。

だから日本で就職することよりも、
海外の会社に入って世界を股にかけた
キャリアウーマンになりたいと思っていた。

そのためのステップとしての留学だった。

インターンシップ先は、本が好きだからと言う理由だけから
ロンドンにある小さな新進気鋭の出版社へ。

当然といえば当然なのだが、
会社の人たちは私を日本人として見てくるし
日本の企業や習慣、考え方について聞いてくる。

仕事上も、日本の出版社とやり取りすることが多々あり、
異国にいればいるほど、日本人である自分を実感させられることとなった。

皮肉なものだ。

その後、日本人が海外で活躍するには
自分の国のルーツや仕事の仕方を
身につけていってからのほうが良いと痛感させられ、
結局日本の企業に就職することにしたのだが、、


この思い出話を通して、何が言いたいかと言うと

いくら環境を変えても、どれだけ人付き合いも変えても
自分自身という存在とは一生付き合っていかなきゃいけない

という単純明快なこと。

だから、自分を受け入れること
ありのままの自分を愛すること

それが何よりも大事だよね。

という「アナと雪の女王」の歌詞のような内容になってしまったが

それができたら苦労しないんだよ、
自分を受け入れることなんてできないからこそ
苦しいんだよ、という声があちこちから聞こえてきそう。

でも。


これまで10年にわたって心理学の勉強・人間の探求をしてきて思うのは
まずは自己否定というプロセスを踏まないと、
そもそも受け入れるプロセスなんて生まれっこない。

つまり、
自分のまんまでオッケーだよ、とゴーサインを出すためには
自分を否定することを通り抜けることが必要なのだ、ということ。
(この説明をしだすと長くなるので、また別の機械に)

だから
逆説的かもしれないけども
自己否定していていいじゃないか

と思うんです。

どこかのタイミングで、
必ず「自分はこのままでいいんだ」
としっくりくる感覚があるから。

自分を信頼できていない時にも
クリアな状態になったら、
必ず、その部分があることが見えてくる。

自己否定をしまくっていた大学生の頃の自分に
一つ言いたいのは、全ての出来事は無駄ではなかった
ということ。

大丈夫だから。
どんだけ最悪と思える状況の中でも。

2019.7.30. 火曜日
Kayo Nomura

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