否定も肯定の一部だから。 Acceptance and Denial
突然ですが、大学生の頃の話からスタートします。
●
大学3年生が終わり、4年生に進む時、休学をして
イギリスに一年間、インターンシップ留学に行った。
小学生の大半をアメリカで過ごした私にとって
価値観の相違や和を重んじるお国柄に嫌気をさしていて、
もっと言うと自分が日本人であることにまでも嫌悪していた。
だから日本で就職することよりも、
海外の会社に入って世界を股にかけた
キャリアウーマンになりたいと思っていた。
そのためのステップとしての留学だった。
インターンシップ先は、本が好きだからと言う理由だけから
ロンドンにある小さな新進気鋭の出版社へ。
当然といえば当然なのだが、
会社の人たちは私を日本人として見てくるし
日本の企業や習慣、考え方について聞いてくる。
仕事上も、日本の出版社とやり取りすることが多々あり、
異国にいればいるほど、日本人である自分を実感させられることとなった。
皮肉なものだ。
その後、日本人が海外で活躍するには
自分の国のルーツや仕事の仕方を
身につけていってからのほうが良いと痛感させられ、
結局日本の企業に就職することにしたのだが、、
●
この思い出話を通して、何が言いたいかと言うと
いくら環境を変えても、どれだけ人付き合いも変えても
自分自身という存在とは一生付き合っていかなきゃいけない
という単純明快なこと。
だから、自分を受け入れること
ありのままの自分を愛すること
それが何よりも大事だよね。
という「アナと雪の女王」の歌詞のような内容になってしまったが
それができたら苦労しないんだよ、
自分を受け入れることなんてできないからこそ
苦しいんだよ、という声があちこちから聞こえてきそう。
でも。
●
これまで10年にわたって心理学の勉強・人間の探求をしてきて思うのは
まずは自己否定というプロセスを踏まないと、
そもそも受け入れるプロセスなんて生まれっこない。
つまり、
自分のまんまでオッケーだよ、とゴーサインを出すためには
自分を否定することを通り抜けることが必要なのだ、ということ。
(この説明をしだすと長くなるので、また別の機械に)
だから
逆説的かもしれないけども
自己否定していていいじゃないか
と思うんです。
どこかのタイミングで、
必ず「自分はこのままでいいんだ」
としっくりくる感覚があるから。
自分を信頼できていない時にも
クリアな状態になったら、
必ず、その部分があることが見えてくる。
自己否定をしまくっていた大学生の頃の自分に
一つ言いたいのは、全ての出来事は無駄ではなかった
ということ。
大丈夫だから。
どんだけ最悪と思える状況の中でも。
2019.7.30. 火曜日
Kayo Nomura