抽象表現とラベル付けの関係性 Abstract Expression and Labeling

先週の土曜日から名古屋での個展「命の循環」が始まりました。

お陰様で多くの方にご覧いただいており、幸先の良いスタートを切っています。

今展では、「命の循環」というテーマから根、種、実など
植物からインスピレーションを得て描いた作品を多く展示しています。

よって、花のような植物のような、でもそうでないような、
抽象と具象の狭間を行き来しながら描きました。

5年前に名古屋で展示をした時は具体的な作品を描いてたので
「どうして抽象に偏るようになったの?」
という質問を会場でいただくことが多く、
その理由を今日は綴ります。

例えばコップを描いた作品を観た時。
「コップだな」と認識する。
当たり前のことですよね。

かたや、一見何が描いてあるのかわからないような作品を観た時。
「これは何だろう?」と唸るかもしれません。

何が言いたいかと言うと
私たちは、すでに知っているものに対して
「これは◯◯だ」とラベル付けをして認識をします。

それはモノに限ったことではなくて
人に対してもそう。

すでに知っているものをそのように認識しないと、
脳みそのキャパシティを超えてしまうので、
「知っているものに対して自動的にラベル付けをする」
というのは理に適っている行為。

その一方で、その行為によって
すでに知っているものを良く見ることをしない、
と裏目に出る面もあります。

すでに知っているものだから、
過去の記憶を貼り付けて対象物を見てしまうと言うことです。

過去と今は別物であるにも関わらず…。

そう考えた時に、
抽象的な作品というのは、過去のフィルターを外す役目を担う
ものになると私は思っています。

なぜなら
「これって何だろう?」と思うことで
過去の記憶と切り離されるから。

そしてそれが、今とつながることに紐づいていきます。

具体的な絵を描いていた私が抽象的な表現に傾いていった理由
上記以外にもいくつもありますが、その内の一つが

「絵を通して、今ここに繋がること」を促したいから、です。

 

そのほかの理由もまた機会を見て綴っていきたいと思います。

 

2020.1.28 Tuesday
Kayo Nomura