定点観測としての問い What Exactly is Art?
絵を描く行為とは一体何なのだろう?
この回答は絵描きによって異なるものだし、呼吸するが如く絵を描いている人にとっては、それは「言葉を使う行為とは一体何なのだろう?」と言っているようなもので、愚問なのかもしれない。
でも、この問いは私が絵を描き出した頃から常に頭の片隅にあり、その時々で答えが変化していく。
–
先日からとある依頼制作のために大作を描いていた。
初めてお話をいただいてから一ヶ月ぐらい経ち、依頼主の方から伺ったお話を何度も反芻し、その方のビジョンとメッセージを確認し、お人柄を脳裏に思い浮かべては草案をいくつもの描いた。
でも、いざ、本番用の大きさで描いてみると、何かが違う。
気を取り直して、もう一度描いてみる。
ん。何かが違う。
その行為を何度か繰り返したのち、考えるのをやめた。
より正確に言うと、こういう風にとか、方向性を把握した上で描いていた理想図を手放した。
というか、手放さざる負えなくなった。
その結果、ハートで描けた(ように感じる)。
「こういう作品になる」という予想完成図がなくても、導かれるような感覚だった。
それはとても不思議な状態で、下図の段階から、「これだ」という確信があった。
最後の一筆を終えた際の、「これしかありえない」という信念。
全身全霊というのは、こういうことなのか、と感慨深かった。
その日は燃え尽きるように寝たが、次の日も、またその次の日も、疲労感が抜けなかった。
怪しい表現になるけども、絵に魂を注ぎ込んだ気がする。
これまでも手を抜いて描いていたわけではないけども、もう一歩深いところに踏み込めたような。
小説家の村上春樹が長編小説を書く際に、よく「地下世界に潜る」という表現をしている。
“執筆を始めた途端、ここではないどこかへ行く。ドアを開け、中へと入り、何が起こっているかを見る。それが現実か非現実の世界かどうかは、僕にはわからないし、気にもならない。執筆に集中すると、深く、さらに深く地下の世界へと降りていく。そこにいると、おかしなことに遭遇する。でも自分の目でそんな出来事を見ている間は、自然なものに思える。仮にそこが暗闇であっても、その暗闇が近寄ってきて、何かメッセージをもたらすかもしれない。
僕がやるのは、メッセージを受け取ることです。別の世界を見渡し、視界に入るものを描き、また現実に帰っていく。戻ることは重要です。戻れないと、恐ろしいことになる。でも僕はプロの作家ですから、戻ることができます。”
(WIRED HP版 「村上春樹、井戸の底の世界を語る:The Underground Worlds of Haruki Murakami」より)
この言わんとする意味が朧げながら体得できた今回の制作の旅路だった。
で、冒頭の「絵を描く行為とは何なのだろう?」
今の私はこう答える。
「言葉の代わりに色を持ち、物語の代わりに形を持ち、一枚の絵に表現していくこと」だと。さらに「目に見える物質世界から、根っこでは繋がっている精神世界へと誘う旅路だ」と。
2021.9.28
Kayo Nomura