最後は全てマルとなるとしたら If All Ends Well
今年に入ってから、オンラインで連続講座を開催している。
テーマは「対話とわたし」。
書くことと描くことを通して、自分との対話を促す内容の講座だ。
目的は至ってシンプル 「より幸せに生きるため」。
もちろん人によって幸せの定義は異なるし、
何を目指すかは人それぞれだけども
幸せを実感したくて生きていることは
人間にとって一つの真理だと、私は思う。
とはいえ、自分との対話って、時に面倒くさいし、
やりたくないことも、多々ある。
見たくない自分と対面することになるからだ。
往々にして見たくない自分というのは、弱い自分とセットだ。
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話は変わるが、新卒で入った会社はマスコミで、そこで営業をしていた。
色々な会社に訪問する、電話する。ノルマもある。
「どうやったらより良い営業ができるものか?」と悶々としていた頃に
本屋で出会った和田裕美さんの本。
彼女は、外資系教育会社に入社後、プレゼンしたお客様の98%から契約をもらうという「ファンづくり」の営業スタイルを構築し、日本でトップ、世界142カ国中2位の成績を納めた女性営業のカリスマという肩書きを持っていて、そんな方の描いた本には絶対ヒントが散りばめられている!と思い購入した。
彼女の書籍を読み進めていく中で、
「陽転思考」という考え方に出会った。
色々な嫌なことが起きても、最終的には「よかった」を探していくこと。
どんなに嫌だと思えることの中に良いこともあるから。と。
当時それを知ったとき、目から鱗だった。
物事には光と影がある、つまり陰陽でできていることなんて
知らなかったので、悪い面が見えたら悪いところしかないと思い込んでいたからだ。
その後、営業畑を離れ、いつしかそのことは忘れてしまっていたけども、今朝はたと思った。
私の一番好きな言葉のひとつに「最後はすべてまる」というのがある。
ある作品を描いている時に出てきたタイトル名だった。
そもそもマルというフォルムが大好きだし、また、人生いろいろなことがあるけども、絶対に最後は全てまるとなる、とどこかで思っている(信じている)自分がいる。
どれだけ凸凹なデコボコ道になっても、三角形みたいにギスギスしても、生きていく上で、角がどんどんぶつかって、鋭角が鈍り、いつしか丸くなっていく。そんなイメージ。
はたまた、マイナス面とプラス面の両方が合わさった時に、物事は完成する、つまり◯(マル)になる、と。
だから、私はいつも物事のマイナス面に出会った時に、そのプラスの意味はなんだろう?と考える癖ができている。
例えば友人と喧嘩したとしたとしたら、一見とても嫌だけども、そのプラスの面ってなんだろう?と考えた時に、「自分の傲慢さに気づけた」とか「親しき仲にも礼儀ありだった!」という発見があったり、「より仲良くなるチャンスに恵まれた」とも思える。
それって先に言っていた「陽転思考」と一緒だな、と思ったのだ。
人それぞれ言い方はあるけども、底では同じようなことを考え、伝えているのだと思ったら、私たち一人一人は色々な体験や経験をし、それぞれ全く異なる人生を生きているけども、根っこでは繋がっていて、行き着く真理は一緒ではないのか?と。
だったら安心して、ぶつかったり苦しんだり悲しんだり悪戦苦闘しながら、人生を進んでいけばいいのではないか、と。
生きること丸ごとがギフトだと思えないような日々もあるけども、やっぱり人生は素晴らしい。
そんなことを思う、2021年上半期終了間際の火曜日です。
今年の年末が来る頃に、最後は全てまるとなれば、いいよね!
途中どんな出来事が起こったとしても。
Love you all,
Kayo Nomura
2021.06.29