絵を描くこと。それを通して実現したいこと。Self Dialogue

現在、とあるプロジェクトのために、ひたすら絵を描いている。
その過程で、「Art through Dialogue」で何を大事にしているのか、今のありのままの思いを整理する意味合いも含めて、本日のJournalに記載する。

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まず、私にとって大切なことは、絵を描く行為そのものよりも、その行為を通して、何を伝えていきたいのか、何を表現したいのか、だ。つまり絵を描くことはツールにすぎない。

では、何を表現したいと思っているのか。

シンプルに一言で言うと、「人生」を描いていきたい。

そう思うきっかけとなったのは、幼少期のアメリカでの日々、そして日本に戻ってきた時の違和感だ。「人とは一体何なんだろう」と疑問に思わせ、人間そのものに興味関心を抱かせた。また、複雑な家庭環境のもとで育ったのも一因だ。人間に関する様々な問いが10代の頃から漠然と脳内を渦巻いていたのだ。

例えば。人は何のためにこの世に生まれてくるのか?
同じ事を体験していても、人によって感じ方が違うのはなぜか?
どうして同じ親の元に育った兄弟間でも、性格も性質も全く異なるのか?

そして、社会人になり、人間関係もいよいよ複雑化していくにつれ、心理学の勉強を本格的に始めた。10年以上前のことだ。

学んだことや気づいたことを、日々の生活の中で落とし込んでいくにつれ、わかってきたことがいくつかある。ひとつ挙げるとすると、どの人間もそれぞれの生活の中で最大限を尽くしているということだ。たとえ、他の人の目にはそう映らなかったとしても。

また、自分自身の思考の癖も明るみになった。例えば「和をもって尊し」的な日本の環境にアジャストするために、アメリカで培った自由奔放だった自分の個性を殺したこと。自分よりも他人を優先することに慣れてしまい、自分の本心が見えなくなってしまったこと。それにより、人にどう思われるか、を異常に気にするようになり、他人軸で生きている期間が長かったこと。

 

何よりも、一見どんなに幸せそうに見える人でも、必ずどこかしら悩みがあり、苦しみから完全に逃れることができないということも思い知るようになった。(お釈迦様の「四苦八苦」を参照することで、より実感する)

それでも、生きているからには、幸せになりたい。そして自分の周りにいる人たちにも幸せになってほしいと願う。そして、自分の人生を生きることを諦めないで欲しい。そのような想いが募るようになった。

たとえその過程の中で、見たくない自分や、避けたいようなドロドロした感情も出てきたとしても。というか絶対に出てくる。それでも、避けては通れないし、より良く生きるために必然な土台となる。

 

上述した通り、どこまで言っても完全に苦しみから逃れることはない。
それでも、生きていることの有り難さ、素晴らしさ、尊さ、、それらは今生きているからこそ感じられるものだ。

そういう様々な「人生」を描きたい。
光だけでもなく、闇だけでもない、人間のあり様を。
良いことばかりでもない、でも苦しいことだけでもない姿を。
自分の周りにいる人たちとの対話、そして、自分自身との対話を通して。

それが私にとっての「Art through Dialogue」だ。

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2020.07.21
Kayo Nomura