「何を伝えたいのか?」に生きるヒントが詰まっている To Live and To Tell


毎週火曜日になると、
このブログを更新しているのだが、
改めて、なぜ、書いているのだろう?
と疑問に思うことがある。

「言葉にするよりも
絵を描いたほうが早いじゃないか」
「そもそも言語化できないことがあるから
 絵を描いているのではないか」
と思うことがあるからだ。

でも、果たしてそうなのだろうか。

● 普遍的ではない言葉
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人類の発展とともに生まれた言葉。
そして、地域ごとに異なる言語が発達した。

日本には日本語があり、
アメリカには英語がある。
さらに、同じ国でも
地方と都会とでは方言が違う。
関西弁と標準語が違うように。

また、同じ国の、同じ地域に住む人でも
人によって言葉から連想されるイメージが違うことがある。
「りんご」と聞いて赤いのを思い浮かべる人もいれば
青いのをイメージする人もいるように。

となると、言葉というのも
普遍的そうで、実際のところ
人によって解釈が異なる。

● 言葉はなぜ必要?
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それでも言葉を紡ぐのはなんでだろう。
言葉を通して互いを理解し合おうとするのはなぜだろう。

写真があれば一発なのに。
すぐにイメージを共有できるのに。

言葉があるからこそ、すれ違ったり
仲違いしてしまうことも、ありうるのに。

なんでだろう。

● 言葉を凌駕する意思
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本当かどうかはわからないけども、はるか昔、
人間は、テレパシーで交信していたらしい。

なんていうとまるでSF小説のように感じるかもしれない。

でも、その時に思い浮かぶのはある思い出。

私が6歳の頃にアメリカに住みだした頃
韓国人の友達ができた。
私はその当時 日本語しか喋れず
彼女は韓国語しか喋れなかった。
それでも、なぜか会話が成り立っていた、
というか、お互いのことを理解し合えていた、
という感覚が今でもくっきり残っている。

テレパシーだったのかわからないけども
「分かりあいたい」という意思が
互いの中にあった時からこそ、
通じ合えたのだと思う。

「こうしたい」という意思が
言語を凌駕する。

● 言葉を凌駕する意思
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それは、実は、絵を描く時も一緒のこと。
絵を描くことを通して
どうしても伝えたい、という想い。

それが人の心に共鳴や感動や
心の揺らぎを呼び覚ます。
だから、結局は同じことなのだと思う。

絵を描くことも。
文章を紡ぐことも。
音楽を弾いでることも。
体で表現することも。

すべては、
「何を伝えたいのか」
に集約されるもの。
だから、どういう風に描くか、とか
どういう言葉で伝えるか、よりも、
「何を伝えたいのか?」
を真剣に、真摯に考えること。

それが一番大事なこと。

その上で、
言葉にすることで
想いや気持ちを結晶化する、
という意義があるように思う。

それは、特定の色を特定の形で
真っ新なキャンバスに塗るのと同じこと。

● 一言 編集後記
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色々な人と話すなかで、思うのは
誰もが何かを表現したがっているということ。
ファッションでもそうだし
ちょっとしたしぐさの中にも見えるもの。
この世に生まれてきた意味は
「何を伝えたいのか」とリンクしている気がする
今日この頃です。
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2017.11.7 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。

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