創造的に生きるということについて Creative Living
絵を描くことによって、何を得ているのだろう?
企業に雇われて働いていた頃、時間と労働を引き換えに、安定した給料を得ていた。
そして、その仕事から貴重な出会いや、技術の取得などの経験も得ていた。
ただし、仕事はあくまで仕事であり、自分の役割はある程度は決まっており、
好き嫌いを別にやらねばならぬことがあった。
それは相手の都合によるものも多く、場合によっては苦手な分野や、
苦手な人と一緒にプロジェクトを成功に導くことが必要だった。
それに引き換え、絵を描くというのは、とても個人的な行為だ。
●成功って何?
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誰かに絵を描け、と言われて描くことはない。
私は「ただ、描きたい」と思って描き始め、
「展示したら?」という勧めのままに、それを実行し、
それが現在まで続いている。とても自主的な行為である。
その代わり、絵を描くことで安定した収入を得ることはなかなか難しい。
(世界中にコレクターがいるような著名な画家でない限り)
何が言いたいかというと、
絵を描いて、それを展示することによって、
成功が保証されているわけではない。
(成功とはそもそも何か?は人によって違うが)
わかりやすくお金を例にとると、
どれだけ上手で優れた画家であっても、億万長者になるかどうか、
というのは縁や運も関係してくる。
これは努力をしてどうこうなるというわけではない。
(若かりし頃の草間弥生は今の成功が目に見えていただろうか?)
(無論、だからといって、努力は必要である。)
●動機と根原と。
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では、成功しなければ、絵を描くのをやめるのか?
それはその人次第だ。
成功が欲しくて絵を描いている人は、
確実に成功できる分野へ移ればいい。
(そういうものがあれば、の話。)
成功してもしなくても、ただただ、
絵を描いていきたいと思っている人は、
そのまま描き続ければいい。
絵を描いた時間の集積、
自分が納得できる絵を描くときができた瞬間、
どうしようもなくうまくいかない作品しか出来上がらなかった時の感覚…。
創造的であるということは、目に見える何かを手にいれるものではない。
仮に何かを手に入れることができたとしても、それは副産物でしかない。
●プロセス自体に身を投じること
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むしろ、創造的に過ごす過程自体が、何にも代えがたい財産となる。
私たちは、誰しもが何かしら表現したい、と思って
生まれてきている生き物だと私は感じている。
それはある人にとっては、歌や踊りで、
違う人にとっては執筆することであり、はたまた
いかに社内システムを効率的なものにできるか、
ということかもしれない。
それが何であれ、「創造する」という行為そのものを、「成功」
という二文字によって置き換えてしまうと、バランスが狂ってくる。
だから、何のために表現するのか?
何のために今、自分がやっていることをやり続けているのか?
それを明確にすることが、心の平安を取り戻し、
より創造的に生きるヒントになるのではないか、と思うのだ。
●一言編集後記
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先日、秋の個展準備のためにギャラリーの方と
打ち合わせをした。
そこで、これまでの流れが一旦かき消された。
それに落胆し、同時に、心底ホッとした。
そして、「創造性とは何か?」
について、再び考えを巡らせている・
答えはいつも、ない。
掴んだものはすぐに古くなる。
だからこそ、今、この瞬間に、生きること。
そんなことを今一度噛みしめている
ここ数日です。
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2017.8.1 Tuesday(*KAYO-BI)
Kayo Nomura
*KAYO-BI:毎週火曜日に更新しています。
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