「時」を経過することで浮かび上がるもの Timeless Time
私たちは絶えず変化していっている。
それを自覚していようがいまいが、必ず。
そういうことはフッとしたところで実感する。
「そういえば、昔ほど焦らずに行動できるようになったな」とか
「以前ほど〇〇への執着がなくなったな」とか
気づいたら”そうなっている”ということが多い。
かと思えば、如実に変化を感じさせるものもある。
私の場合、制作の過程で実感させられることが多い。
目に見えるため、実にわかりやすい。
これまでのスタイルや描き方が、しっくりこない感覚が出てきて
着地点のない作品が出来上がる(ように思える)。
それは、一見「訳のわからない」作品だ。
今の自分から見たら、「よくわかる」作品が良くて
「よくわからない」作品はよくない、と切り捨てがちだ。
この場合、理解しやすいかどうか、が尺度となる。
でも。
必ずしも「今」自分が良いと思っている作品が
1年後、5年後、10年後に良い作品と思うかどうかはわからない。
逆に、よくわからないと思っている作品の方が
結果的に良い作品になりうることもある。
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村上春樹のインタビューだったかエッセイだったか記憶が定かではないのだけども、以下のような内容の下りがあって、妙に印象に残っている。
「本当に良い小説というのは、ある程度の時間をくぐり抜けないとわからない」と。
彼の小説は、出版された当初は評判が悪いことがあるのだけども、ある程度の時が経つと、評価が変わってくることが多いらしい。
そのことと、絵の作品の良し悪しのこととはリンクしていないかもしれないけども、「時を味方につける」って大事なことだと思う。
つまり、出来立てほやほやの状態の作品と、ある程度の時間に漬けさせた作品とでは、持つ印象が180度変わっていることもありうるということ。
自分自身も時の流れによって変化していることもあるし、描きたての当初わからなかった作品の意図が理解できるようになるかもしれない。
わからないものをわからないままにしておくことは、時に勇気のいることだけども、そういう”発酵時間”も人生には必要だ。
2021.8.10
Kayo Nomura